りーりーと泣いちゃうのこと


小沢健二の新曲『泣いちゃう』がいいよとツイッターで流れてきたので、聴いて(見て)みたら泣いちゃった。

(前略)
と 気持ちをおさえていても
本当はこれ、むりです と

わたしたちは 一人のキッチンで
世のありさまを呪いつつ
泣いちゃいます
(後略)

そうなのだ、ホントは無理なのだ。

歌の最後は明るくまとめて、この世を呪いながら生きるしかないと言っているけれど、なんとかならないか足掻きたい。でも、どうにもならないことばっかりで、やっぱり無理…と思って泣いちゃうのだ。

なんという歌だ。

 

ちょうどこの数日間で、この本を読んでいた。

この中には、小沢健二氏の息子であるりーりーが登場して楽しくお話ししている様子が書かれている。

その頃から比べてとても大きくなったりーりーが、コロナでわけわからなくなった世界で泣いちゃうような気持ちになっている(のかな)お父さんと、一緒にさっきのMVに写っている。

時間の流れを感じる。

それと、この歌の作者と本の著者、二人の天才が付かず離れず仲良くしていてほしいなと何故か願う。
お二人共わりとわけわからなくてちょっとついていけないところも大いにあるけれど、お二人共やっぱり素敵だな。

 


とりあえず私はいま自分の上司が「予定通り」の「通り」を「どうり」とひらがなでメールしてくることに腹立っています。
「お」なんですよ、「う」じゃなくて、って、いつか言って差し上げたい。

そんなことが理由じゃないけど、フワッと申し込んでみた転職の応募が2次面接に進んでしまい焦っています。

 

アメリカとにんじんのこと


どこかに行きたいよねえ〜
と思って読んだこの本がすーごく面白かった。

(この本はお友だちのだらちゃんがお誕生日にくれました。ありがとう!)

映画研究者であり食についての本も出している著者が、1年間のサバティカル中にロサンゼルスに家族で転居して、彼の地のあれこれを食べて考えたことがまとめられている。*1
LAの季節感のなさ、その代わりのように味わえる多様なエスニックフード、BBQカルチャー、ケチャップの存在とその安定感…などなどをふまえて、食べ物を味わうための「記憶の襞」が増えていく日々がこの上なく羨ましく感じて、ぐいぐい読んでしまった。アメリカという国とLAという都市、それぞれを取り巻く食の歴史も知らないことばかりだった。
そして、この中で名店として紹介される『ゲリラ・タコス』*2に猛烈に行きたくなった。「マグロのポキのトスターダ」「ポークベリーとイクラのタコス」「じゃがいものタキート」すっごく美味しそう。これ読んだ人全員行くと思う。

わたしの個人的な渡米経験(15年前)を思い起こすと、美味しかった記憶があるのはCostcoのサーモンソテーだ。生の大きな切り身がマリネしてあって、買ってきたままの容器で家のオーブンで焼くの。よく味付けされているからかしっとりしていて、当日も翌日も美味しかった。 あとは、クリスマスに出てきたハム。これも大きなハムの塊をオーブンで焼いて食べるもので、おせちみたいにクリスマスの日から何日もかけて食べた。いずれも巨大なので家庭にいないと食べられないもので、ホームステイをしていたからこそあやかれた味だった。
途中から一人暮らしを始めて、治安の悪そうな激安スーパーで缶詰の豆とひき肉を買ってチリコンカンにして食べたりしていた。ここのスーパーには、にんじんとかブロッコリーとかも缶詰で売っていて、「野菜ってこんなに缶詰になるんだ…?」と知った(買わなかったけど)。あとはもう少し治安の良さそうなスーパーでベーグルとかマフィンの6個パックを買って、1週間分のお昼としていたのを覚えている。
ファーマーズマーケットもホールフーズもあったけど、やっぱり値段の差が天と地ほどあったのであまり使わなかった。この本にも出てきたけど、ファーマーズマーケットで食事を完成させるには一定の生活レベルが求められる、そしてそれは日本でもアメリカでも同じ、今も昔も同じ。
ブリトーとかナチョスとか、フォーとか、Gyro*3とか、食べたことのなかったエスニックフードに親しんだのもとても良い思い出で、それがこの本を読んでいたときに思い起こされて懐かしくなった。


名古屋に来て4年目だけれど、この土地らしいものはそんなに食べていない。いわゆる名古屋めしはひと通り経験したあと、誰かが名古屋に来たときに食べている程度*4で、それ以上に特別な食材に出会ったりしていない。鮎が安い気がするけど、買ったことがない。
特にこの一年は、毎度毎度このブログに書いているけれど、ろくなものを食べていない。チリコンカンなんて、ましてやカレーですら、作らなくなってしまった。
ごく稀にスーパーに行っても何を食べたいかわからなくて買い物できない。ピーマンと豆腐と卵を買ってみる。ピーマンはサラダの代わりに生のままかじったりしている。香りもあるしみずみずしくて美味しい。あとはコンビニに頼って生きている。不必要かつ無意味に都市的な生活になってしまっていて、夜セブンとローソンとファミマを巡回して、食べたいものが見つからないと死にたくなる。…作り置きをしたらいいのよ私。チリコンカンを作ったらいいのよ。

 

昨日と今日は連休だった。大須に用事をしに行ったら賑わっている八百屋さんがあって、へーと釣られて見てみたら、巨大な「春にんじん」が安く売られていたので買ってきて焼いて食べた。美味しかった。
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しばらくにんじんで生きる。

 

*1:全然関係ないけど一般の会社員にもサバティカルがあったらいいのにね

*2:http://www.guerrillatacos.com/

*3:ギロ?ジャイロ?これはケバブと同じなのかよくわからなかったファストフード。ギリシャ料理らしいが、ピタパンとかナンみたいなのに焼いた肉を削ったやつが入っていて、まあ要するにケバブ

*4:本当はもっときしめんとあんスパの食べ歩きをしたいのだが全然できてない…

これ俺のこと


坂口恭平『躁鬱大学』を読みました。

おもしろかった。読みながら「これは俺のことか?」の連続だったのだけど、バーナム効果みたいなことが起きているのではないかと疑心暗鬼になる。とにかく「ほんとにこういう人たちは世の少数派なんだろうか…」と思ってしまう、あるあるに感じるのだが、これこそ自他の境界が弱いタイプゆえの疑問なのかもしれない。
それを治さなきゃと思って努力しているつもりなのだけど、この本は「ちゃんとしなきゃと思うのをやめたまえ」と言ってくる。やー、芸術家ではない私たちにはそれは難しいよ。


わたしはこの本でいう躁鬱人(正確には双極性障害)ではなく、単に気分に波のある人として読んでいるので、躁のときの大変さはわからないけど、なんだか他のところはしみじみ効いた。
数ヶ月前に別な部署の大ボスから「なんのために働いているのかね」みたいなことを訊かれて、その場は適当なことを返事した。でも、なんのためって言われたら、自分が褒められたいからじゃないかな〜って薄っすら思っていたのだ。そしてモヤモヤしていた。
そこで読んだらこう書いてあってなんかスッキリしてしまったのだ。

常に評価の基準が他人です。(中略)人からなんと言われたって俺は俺だ、みたいな思考回路はゼロです。

あらゆる行動は人のためにやっているのではなく、徹底して「自分のために」やってます。はっきり言うと、自分のことしか考えてません。

これ俺のこと…と思って。
矛盾してるように見える2つの項目なんだけど、単純に、他人に自分が褒められたくて行動してるということ。…あの、みんなこう思ってないんですか心底では。もし思ってるとしたら私のインターネットは似た者同士の集まりってこと?もし思ってないんだとしたら…やっぱりわたしはそういう人物なの?
自分のことだけの人物だったのかー、知ってたけど認識したくなかったなー、などと思っています。

 

「トイレを増やせば自殺はなくなります」の項目も面白かった。ここで読めます↓
わたしにとってのトイレはインターネットなので、大変恐縮ながらどんどん排泄させていただきます。

 

去年の誕生日は一人でピザーラを頼んで食べていたらしい。一昨年は好きなビール屋に昼から行ってハンバーガーを食べていたようだ。今年はローソンのたらこスパゲティに冷凍ブロッコリーを入れて食べました。来年の誕生日は誰かと楽しくビールを飲みたいな。

 

 

コロナで変わらないこと

 

愛知県にも緊急事態宣言が適用されることになった2021年5月7日である。
お取引先から焦り声のお電話などいただくが、こちらはゴールデンウィーク明けの連休を満喫しているのでどうしても返事が朗らかになる。
もう少しだけ現実から目を背けさせてほしい、明日からちゃんとしますので…と言いながら胸はキュウキュウするので、誤魔化すために昼からビールを飲む。

去年の今ごろ発令されていた緊急事態宣言は、それはそれはシャープに私たちの行動を変容させた。「不要不急とはなにか」を胸に手を当てて考えて、とにもかくにも家にいた。
でもそれはほんの一時期のことだと思っていたのだ。夏になったら収まるかな〜みたいになんとなく世の中全体として思っていた。その程度の理解だった*1
オンライン飲み会とか、アマビエとか、超ラジオ体操とか、いろんなものが出てきて流行って、それを一生懸命消費して時間が経つのを待っていた。
そんな中で「こんな期間限定のスタンプ買っちゃって〜」とか言っていたLINEのスタンプがいくつかある。
これを、全然、未だに使っている。
送るたびに、まじかー、ってなり、せつなく哀しく面白い。
200円投げ銭くらいのつもりでいたのに、もう元取ってるくらい使った。
そしてあと1年くらい使う気がしている。
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*1:国民はまだしも、政府もその理解だったのが今日の不幸を生んでいるのかな…

コロナで変わったこと

 

コロナ禍に入って、もう1年以上経つ。
去年の今ごろは全国的な緊急事態宣言で、職場にも行っていなかった。
家で水餃子を作ったり散歩したり、絵を描いてみたりして楽しく過ごしていた。
不安にも思っていたが、振り返ると概ね楽しかったんじゃないかと思う。
今のほうがよっぽど不安で、日々つまらなく感じているような気がする。

 

1つ当時と変わったことといえば、フードデリバリーへの敷居がどこかのタイミングでガクッと下がったことだ。
デリバリーはお値段が高いし、私は身体が動かないわけでもなく、留守にさせられない子どもがいるわけでもなく、料理ができないわけでもなく、徒歩圏には深夜でもやっているスーパーもコンビニもあるわけで、、、他人様に食べ物を持ってきてもらうだなんて、そんな大それたことを、パーティーでもないときにやるなんて、、!
と畏怖の念で1年間くらい退け続けていたのだけど、この数ヶ月でそんなことがなんだかどうでもよくなり、ちょこちょこ頼むようになってしまった。ウーバーイーツとフードパンダの乱れ打ち。
ダメだな…と思う。
高いし、ヘルシーなものを選んでいないし、ゴミはかさばるし。
せめて飲食店をサポートしているという気持ちになれればいいのだが、名古屋で私が好いている店は全然フードデリバリーに登録していないから、そういった意味でもやり甲斐に欠ける。

 

セルフケアというものがやっぱり一番難しい。
自炊をしていない。
フードデリバリーは自分を甘やかす行動ではあるのだけど、セルフケアではない。自炊はセルフケア。
花も飾っていないし、ストレッチをしたり湯船に浸かって顔の汚れをとったりもしていない。そんなに忙しいわけでもないのに。


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今日はトムヤムクンラーメンを食べた後のスープにご飯を入れて食べました。
トムヤムクンラーメンはタイの日清で作ったやつがスーパーで売ってました。

照れと恥じらいのこと

 


友人のごまさんと2人でgomm*1というチームを名乗り、なにか作ったり人を集めて一緒に遊んだりする、その主な活動がドレスコードを決めてピクニックをすること、というのを始めたのが2011年なので、今年で10年になる。


わたしが名古屋に来たことで活動が疎かになっていたところへ、コロナの影響があってこの1年は開店休業状態になっており、本当ならば祝賀会など実施したいけれど何もしていない。

でも10年は10年でめでたい区切りだからということで、これまでを振り返る会をオンラインで途切れ途切れにやっている。具体的には過去の記録や写真を見ながら、インスタライブで喋るという方式だ。*2 

昨日までに3回やったのだけど、思ったより話すことがあってまだ2015年までしか振り返れていない。最初の数年は1ヶ月に2度とかイベントをやっていて、その頃のエネルギーに溢れている感じが眩しい。*3

10年もやっていると来てくださる人も移り変わり、やってみる内容も移り変わりで、写真を眺めていて飽きない。飽きないのと同時に、「もっとガッツリやればもっと"なんか"になってたんじゃないの…?もったいない…!」と嘆く場面がとても多くて面白い。
同時期に似たような変な活動をしていた人たち*4は新書*5まで出したというのに、メディアへご紹介いただいたこともあったのに…とおばさんになった私達は嘆く。

若かった私達はその場を楽しむばかりで、自らを売り込むことを怠っていた。その理由を掘り起こすと、主に、照れと恥らいのためだったのではないかと思う。あと、へんなプライドと、中途半端な堅実さと。
その辺りがもっとフワフワしていて、ついでに妙な勢いがあったら、今ごろ調子に乗ったインスタグラマー兼ユーチューバーになって、サロンで会員を集めてサプリをPRしていたかもしれない。ダンスが踊れなくてTikTokについていけず苦しんでいたかもしれない。それか地下アイドルとして35歳を過ぎ、地上に上がれなくて悩んでいたかもしれない。わからない。

そうでない今に大きな不満もないので特に苦しまないが、これからはもったいない場面を逃してはならないねと昨晩話した。しかしなんとなく、また10年後に「あのときもっとこうしておけば〜」と話している気もする。

 

とりあえず10周年にかこつけていろいろ記念のグッズを作ったりしたい。ありとあらゆることが手探りで、全てを家のプリンターで出力していた10年前に比べて、低ロットでいろいろなものが作れる世の中になったなあ。
あ、今あるラインナップはこちらですどうぞよろしくお願いします!

 

 

*1:ごまさんの「ご」と、むまの「む」で「ごむ」です

*2:初回はクラブハウスでやってみたけど、その後インスタライブに。

*3:あとけっこう暇だったんだな…と思う

*4:すごく失礼

*5:これのことです

 

 

これしかなかったこと

自分の上がり下がり問題、元気なときとそうでないときの差が激しいという問題。

元気なときはものすごく偉そうなことを言う。「会社勤めってすごくいい暇つぶしだよね。知ってる人と話もできるし、なんかやることやってたら時間過ぎてくし…それにお金ももらえる!」

そうでないときはもう全然だめになる。「会社やめたい…。というより働くことをやめたい…。起きたくない…。こんなことで休んでいる私の価値は無…。でも金がほしい…金…」くらい言う。

前者の日は10%、中間の日が30%、後者の日が50%くらいでやっている気がする。*1 そんなでもないかな…後者の日のインパクトが強すぎて、いつもどんよりしているような気がする。

 

そんな中でやっと、『ぼくにはこれしかなかった。』を読んだ。

ぼくにはこれしかなかった。

ぼくにはこれしかなかった。

  • 作者:早坂大輔
  • 発売日: 2021/03/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

サラリーマンと起業での失敗を経て、盛岡で本屋を興した人のストーリー。本当の話で、書いているその人の、今の話だ。
淡々とした語り口なのに内容はドラマチックで、ふんわりとかわいらしい表紙で想像していたよりも、濃厚な本だった。巻末の50冊紹介はまだ読みきってない。

読みながら、若い人に語りかけるような文章にしたのはどうしてなんだろうとすこし思ったが、これがあるから「自分はこうだっただけで、このやり方を押し付けるわけではありませんよ」というスタンスが保てるのかな。ともすれば「いいだろ?この生き方。どや?」となりがちなジャンルの本なのだけど、決してお前も独立しろと言ってこないのが良かった。いや、前半はそのオーラを感じてイラッともしたのだが、最終『ぼくにはこれしかなかった。』のタイトル通りだったのかもな、と思えた。帯に、「就職するだけが人生ではない。」と入っているのも、そこの塩梅をみているようだった。

こちとら、就職して生きることは悪いことじゃないと、やっと思えるようになったから、そこを否定されたくない気持ちがあるのだ。

「これしかなかった」と言って特殊なフィールドで働いている人が羨ましい気持ちは大いにある。相手からしたら普通(?)に会社勤めしていることは「ようやるなあ」という対象なのかもしれない。
とはいえこちらもなんでも選べる立場というわけではなくて、なんとなく面白みを感じられそうなことに近付いてどうにか就職し、好条件を求めて転職し、また転職し、新卒から10年を過ぎてやっと仕事を面白く感じるときもある状態になれたのだ。
ある種こちらはこちらで「これしかなかった」のかもしれない。とりあえず今はこれしかない。
勤め先をなんとか良くしていくしか、世の中に貢献したり認めてもらったりする方法がない。あとお金がほしい。とりあえず今は、の繰り返しで、ずっといるのかもしれない情けなさはあるが、今はこれしかない。

 

とかなんとか言って、この本の中に出てきたアメリカでの買付旅行がめちゃくちゃ羨ましかった。
いいな〜〜〜わたしも海外でおもちゃ買付しまくって自分の店で売りたいな〜〜〜〜〜いいないいな〜〜!ってなった。旅行で行く海外も楽しいけど、仕事で行く海外ってもっと面白いよな。
いいな〜〜〜!

 

 

 

*1:100%になってない