朝6時。窓の外から滝のような音がする。この中を歩いて出ると、最寄駅まで通常13分のところ20分かかるかもしれない、そもそも足が濡れて体も濡れて力が出なくなってしまうかもしれない、と思うと全然出掛けたくない。しかし8時半ののぞみを予約してある。不可抗力…でもないが、それに近い力に押し出されるように布団を這い出て支度する。昨晩、朝ごはん準備してあげるわよと母に言われたが、ありがとうのあとに「でも新幹線の中で駅弁を食べるというのをやりたい」と申告したらヨーグルトだけが用意されることになった。食卓につくとそのとおりになっていて、ありがたくいただいた。
化粧をして家を出ると雨は少し弱くなっていて、このタイミングでとおそらく散歩に出された巨大なハスキー犬が濡れながら嬉しそうに歩いていた。
最寄駅に着くとホームには込み上げる嘔吐をこらえる若者や、しゃっくりをしながら自販機で飲み物を買おうとする若者がいて、連休を感じる。ガラガラの電車に乗り込む7時半。文庫本を読みながら今日の夜なにを食べたいか考える。宿泊は納屋橋である。つまり?あの角の焼鳥屋?ちょっと栄の方まで行った天ぷら立ち呑み?もしくは藤一番か、などと思ったところで、ハッと思い出す。納屋橋の近くに異様にピータン豆腐のうまい中華屋があった。半地下みたいな。あそこに行きたい。あの店のことを何年ぶりに思い出しただろう!えらいぞ記憶、とウキウキする。夜はピータン豆腐に決まり。
東京駅に着くと、駅弁屋は信じられないほど混雑していた。まだ8時前である。人気らしいお土産屋の開店を待つために並んでいる人もいる。8時にシャッターが上がるのだろうか。8時に開くということは、スタッフは7時半には着いていて、6時半には家を出ていて、5時半には起床しているということではないか。売り物は何時に店に届いているのだろう、怖い。連休に旅行するとはこういうことなのか。すべてに恐れおののき、わたしは店に近づくのをやめた。東京駅の駅弁屋は1軒だけではないことを知っているので気を落ち着かせてうろつく。しかしどこも混んでいる。もう駅弁じゃなくていい、わたしは名古屋についたら高島屋の地下で赤福を食べるんだ。そうだ、京葉線の方角におにぎり屋さんがあって、便利でよく使っていたじゃない、と思っておにぎり屋さんに向かうとそこも行列している。並びたくないので無視して進むとそのまま京葉線の手前という明らかに新幹線とは差別化されたゾーンに突入し、グランスタとも違う惣菜売り場があらわれる。空いている!喜び勇んで入っていき、サンドイッチ屋さんの前で5分ほど迷った挙句にたいめいけんのカツサンド(3切れ)を買った。NewDaysで氷のカップと小さいウイスキーの水割りを買い、新幹線のホームでホットコーヒーを買う。

出発した新幹線の中で文庫本を読みながらカツサンドを食べていると、武塙麻衣子『にぎやかなひとり飲み』*1に出てきたサンドウィッチ伯爵のことを思い出す。わたしも確かに子どもの頃、初めてサンドウィッチ伯爵について知って「遊びながら食べるためなんてカッコいい」と感じていた。でもサンドウィッチ伯爵という人物が発祥で食べ物をサンドウィッチと名付けることにしたのは本当だろうか?だって、それまで人類はパンでおかずをサンドしようと思いつかなかったのだろうか?いや、挟むだろう、ちょっと急いでたりしたら!と想像するが、そもそも「サンドする」という動詞は日本語で、英語には存在しない。英語圏に「〇〇サンド」という食べ物は存在せず、sandは砂だ。砂は挟むとなんの関係もない。とすると本当にサンドウィッチという人名(これも変わった名前のように思うが)がパンで何かを挟むという作業及び結果の代名詞になったのだなと実感する。こうやって一瞬疑問が浮かんたことが調べもせず一瞬のうちに脳内で解決するのは面白い。
さっさとカツサンドは食べ終えてしまい、コーヒーをつまみにウイスキーを飲む。こんなことがあっていいのか、いや、いいだろう。わたしはこのあと赤福を食べるのだ。
すっかり酔っ払った足で名古屋駅に降り立ち、そのまま流れるように高島屋の地下へ降りて赤福とお抹茶のセットをいただいた。いつも並んでいる気がする赤福の喫茶は朝一番ゆえか空いていて、すっと入れる。赤福は二粒出る。なんらかの合理性を感じる皿に乗って出されるので行く方はぜひよく見てほしい。味はいつも通り美味しい。そして抹茶とは別についてくるほうじ茶の香りがとてもよく、美味しくてびっくりした。甘いけれどさっぱりとしたほうじ茶。これは今度もし来たときはお薄を頼まなくてもいいかもしれない。

目的を達成したのでゆったりした気持ちで本日の宿泊地に向かう。ああこの道路の広さよ、この徒歩人口の少なさよ。名古屋を感じる。荷物を預けて身軽になり、さっさと駅へ戻る。歩いていると何も変わらないようにも思うが、微妙そうだと思っていた店はまた別な微妙そうな店に変わり、かつて建設中だった建物は完成し、かつてあった建物がなくなっている。ああそうだった、この近鉄の横のボウリング場とマクドナルドが入っていたビルはなくなったんだったよね、いまは広場のように整地されフードトラックが数台出ていて、その奥にひっそりとあった(ように感じていた)ダイコクドラッグが堂々と丸見えになっている。このダイコクドラッグで大袋のお菓子を買っては勤め先に持って行っていた。店の1/3が百均になっている変な店で、たまにポイントが貯まりましたのでとか言われて変なものをプレゼントしてもらえるのだ。アボカドカッターとか。一度も使わなかった。しかしこの潰れた建物はなんていうんだっけ、ということを思い出さないまま周囲を散歩し、お世話になったミニストップやお世話になったローソンやお世話になった焼肉ライクを眺め、なんかもう少し豊かな思い出なかったっけ?と妙な切なさを抱く。待ち合わせの12時半になる頃やっと「レジャック」というビルの名前を思い出したのだった。
もともと今回の名古屋旅行は以前の勤め先(東京)の仲間たちと5人でジブリパークに行ったり常滑に行ったりしましょうという主旨で、土曜の朝から月曜までの二泊三日を想定していた。宿泊の予約はすべて自分が手配した。しかしあろうことか直前の水曜にインフルエンザA型に罹患し熱がバンバンでてしまった。正直土曜の朝には治っているだろうとは思いもしたが、同じ部屋で寝起きした結果みんなが連休明けからインフルです!という可能性もなきにしもあらず、怖すぎたのでやめた。そんな仲間たちの旅の最終日に合流しようというのがこの12時半である。
地下街のうな富士でひつまぶしを食べると、驚きの値段だがその分きちんと美味しいような気がした。2泊分の旅のダイジェストを聞き、みんなが仲良くやっていたことを確認し、名鉄に乗って今日の目的地である有松へ。数年前のトリエンナーレの会場になっていたのを見て以来の訪問。駅から出るとかなり閑散としており不思議である。有松は有松絞りという染物の産地である。旧東海道沿いに江戸時代から続く文化財レベルのお屋敷が並び、海鼠壁と蔵の背の高さが格好いい町並みが残されている。その中に工房があったり絞り染めを使ったブティック的なものがあったり、飲食店も点在したり、している、はずなのだが、なんと、まあ、全然やってないのだ。全然。客もいないが店もいない。なんで?今日、週末っていうか月曜だけど祝日じゃん?祝日って、観光地は混むはずじゃん?シャッター商店街の様相に、あれから4年、すべての店が閉店したのか?と思うが、たぶんそういうことではない。ただ今日、ほぼ全て閉まっている。われわれ以外の観光客は全員この状況をわかっていて来ない判断をしたのだろうか?どこかでお知らせがあったのだろうか?憮然としながら「有松・鳴海絞会館」を訪問し、素敵だけどちょっと手が出ない値段の品物を眺め、「ガイドブックに載ってたソフトクリーム食べたかったなあ」と嘆きながらやっていない店の前を歩き、悔し紛れに立派な蔵や柳を褒めたりし、「ここなら今日やってるっぽい!」とたどり着いたカフェで「すみません今日はもうオーダーストップで…」と言われる14時半。早すぎんか?ショックすぎて、返す刀で「どこかこの近くでわれわれがお茶できるところってありますかね…」とお店の人に聞く始末。結局駅の横にくっついたイオンの主テナントらしきコメダに入り、5人でシロノワールを分け合って食べた。ソフトクリームを食べたがっていたメンバーはジェリコを頼んだ。
そうこうしているとみんなは帰りの新幹線に無事に乗って行った。わたしは晴れた名古屋の夕方を歩いて「一段落しよう」と納屋橋の角の焼鳥屋に行こうとした。が、月曜は休み。代わりに仕方なく、斜向かいの藤一番に入ってビールと餃子ともやしスープを頼んだ。餃子は普通ではなくしそ入りにすればよかったなと思ったが、もう一品のもやしスープには驚いた。これは!酒飲みが!ラーメンに!求めるすべてが凝縮されている!誰も他に客のいない店内でひとり拳を握りしめた。焦ってテーブルの上の薬味入れから紅生姜をつまんで載せる。最強になる。ラーメンそのままの塩っぱくて油っこいスープ!細くシャキシャキの残るもやし!少しの白髪ねぎ!そこにアクセントの紅生姜…ほしいものは全て藤一番にあったんだ…もっと名古屋に住んでいた頃に行っておけばよかった。呆然としながら食べ終わってホテルに戻って寝た。
夜になりノソノソと起き上がって、名古屋の友Kちゃん落ち合いピータン豆腐を食べた。あれやこれや喋っているといつのまにか閉店時間になっており、もう一杯飲もうと磯丸水産に入って蟹味噌を焼きながらハイボールを飲む。やっぱり藤一番に帰ればよかったと思った。もやしスープのことをKちゃんに伝えたかった。あと、店のシャンデリアに藤一番と描かれているのがかわいかったことも。

(2026/09/21)
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