遺影のこと

いえーいと言えーい。

 

連続で葬式絡みの話ですいません。ちなみにお墓は決めて予約ができましたので一安心。いや、全然安心も何もなく、お墓をドカンと一括で買った後も年会費みたいなの払わないといけないと知って衝撃を受けています。なんだよー。

 

それで遺影の話ですけどね、故人が亡くなっておやおやとなった翌日なり翌々日とかそのくらいにはその人のベストショットが必要という特殊環境での特殊リクエストが遺族に出るわけです。しかも若すぎてもダメ、最近すぎてもダメ…(というのは老人に限った話かもしれない。かなりケースバイケースなので、あくまでわたしの親の話だよということで聞いていただきたい)。

若すぎてもダメというのは、一番元気だったときの写真を活用したい気持ちはやまやまだけど死んだときと顔が違いすぎるから、なんかギョッとしない?という話。

そして最近すぎてもダメというのは、わたしの父は最近はろくに親戚や知人に会っていないため、葬儀に来る人が見覚えのある顔から少し変わっている(最後の記憶よりもさらに老けている)という話だ。

 

少し前にツイッター(またの名をX)で、お父様の葬儀にご本人の等身大パネルを出した、という投稿を見た。大人気で弔問客がツーショットを撮って帰ったという。なるほど楽しそうでいいな、と思った。しかしそれには、全身が写っている高解像度の写真が必要なのだ。

 

あるか?親の高解像度全身フォト。

ないんですよ。

 

うちの父の話で行くと、実家でアルバムを引っ張り出してきたものの、良い写真はどうも若すぎる。痩せてるしイキイキしてるけど、もう全く違う人のようで、「この人が死にましたよ」というのは少し憚られる。一番新しい写真は太りすぎているし、目が開いてない。やや新しい写真のほとんどは目線が合わないか、誰かの影になっているか、なんか変…という中で、なんとかギリギリこれならいいんじゃないのというものを、遺族(一親等)内でコンセンサスを取る必要がある。

しかも、写真はある程度の大きさが必要なのだ。なぜなら葬儀で飾るには、バストアップでB3くらいの大きさに引き伸ばさないとならないから。葬儀屋さんは「親指くらいの大きさがあればなんとかなります」と言った。こんなに写真に親指当てたことあったか、というほど当てて「ではこれを…」と写真の現物を葬儀屋さんに渡すのだった。

なぜだかデータで探すというアイディアが思い付かなかった。いや、データも見たのだが、これというものがなかったのかもしれない。この辺は記憶が曖昧だ。

 

この過程でわたしはしみじみと感じ入ったのだ。

写真、撮っておけ!

あと、焼いておけ!

写真を焼くという言葉が通じない方にお伝えし直すと、プリントしておいて!

だってね、いつ死ぬかわからないというだけじゃなくて、ふとした瞬間にみてごらんよ。GooglePhotosが10年前の自分の写真を急に画面に出してくると驚き、かつ少し面白いだろ?それを紙にしてちょっとおいておいたら、万が一の場合でもそうでなくても、自分も周りの人も少し面白いんだから。

フィルムで撮った写真を焼くという選択肢しかなかった時代から、一瞬デジタルプリントの時代を挟んで、今はとにかく撮っておきっぱなしになりがちだ。その極個人的なアーカイブを使おうよっていうのが06552355からのちゅ〜るのCMだろう。つまり、クラウドにしておかないで、犬猫ならテレビに応募して、人なら紙に出力しておいたらいいと思う。なんなら一緒に写ってる人に渡すくらいの勢いがほしい。

 

そんなこんなで最近のわたしは記念撮影に夢中なのだ。会う友人はたいてい記念撮影をされているはずだ。忘れて帰ると玄関で「あーっ」と声が出るくらいには真剣だ。酒を飲む前に撮るのがポイント。頼むからみんな写っといてほしい。