歩道のこと/本屋のこと


どこか新しいところに住んだら、というか、どこかに行くなら、下調べしておくのはビール屋と本屋と決まっている。名古屋では、伏見のBRICK LANEと、東山公園のON READINGがそうだった。それは5年住むうちに円頓寺のENDOJI BREWINGとなり、金山のTOUTEN BOOKSTOREとなっていった。近くて明るくて美味しいものがさらりとあって、気取らなくて、という場所。できればそこには歩いて行きたい。kemioくんが言ってたけど「散歩は神からのアクティビティ」だから。

クアラルンプール"近郊"に越してきて、まだここというビール屋には出会えていないけど、本屋には出会えた。
歩いていける範囲ではなくて、家からバスに乗って行く。それは全然OK、東京でも名古屋でも嬉しい気持ちで本屋へ公共交通機関で通っていたもの、大して変わらない。それにバスを降りるとここには歩道がある!でも、帰りのバスが来る道路の反対側に渡るための横断歩道はない。
ということをわざわざ言うのはなぜかというと、ここにはなかなか歩道がないのだ。歩道、横断歩道、歩道橋、がない。正確に言えば全然足りてない、私には。片道3車線もある広い道が整備されているのに、その端には路肩しかなくて歩道がないところがたくさんある。ある歩道をルンルンと歩いていると途中からそれはいつの間にか路肩に変わり、その雑草の合間から獣道のように"野良の歩道"があらわれる始末。草のはえない土の上を、「あ、ここ誰か歩いてんだな…」って、山で先人が来た道を感謝するように歩く。野良の歩道を維持する活動だ。そして私以外歩いている人はいない。わたし何かおかしいことをしてますか、と世に問いたくなる。自分が歩いているときに誰か別な人が歩いていたら、心の中で投げキッスを送るくらいに歩行者はこの国では孤独なのだ。だから歩道がいらないのかというとそうではない。逆なのだ!歩道が、もしくは自転車道がもっと整備されれば、この街はこの国はもっと良くなるはずなのに。というのが引越してきて1か月の感想だ。別な人はマレーシアで歩行者は人権がないと言っていたけど、"歩行者に人権を渡せ党"みたいな政党を作って立ち上がりたいくらいに歩道がほしい。でも選挙権も被選挙権もない。日本の在外選挙人証は届きましたが…。
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その点、先日出かけたタイのチェンマイは歩道も横断歩道も充実していた。まぁ横断歩道はドライバーからすると割と軽微な存在というようにも見えたが、手押しの信号をちゃんと点ければ止まってくれていた。この期待値の低さは東南アジアあるあるだ。
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で、行った本屋で出会った本を、やっと最近になって読み切った。

Katie Goes to KL (English Edition)

Katie Goes to KL (English Edition)

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Su-May Tan『Katie Goes to KL』は、オーストラリア生まれ育ちの高校生Katieが、祖母の葬儀でクアラルンプール(KL)に行く話。父子家庭で父は中華系のマレーシア人、6歳の頃から母は死んだと聞かされて育ってきたのに、なんとKLで母は生きていて…!?というびっくり展開のあるジュブナイル小説である。
その中でこういうくだりがある。(以下、意訳by私)

スニーカーをつかんで履こうとしたら「どうした?」と眼鏡越しに叔父さんが訊く。「散歩に行く」踵をトントンしながら返事をした。「どこに?」「この道の先に公園があるでしょ?」「公園?」叔父さんは窓の外を眩しげに見る。「さっき、来るときに見たの」私がそう言うと、叔父さんは眉をしかめる。ちょっとなにか言いたそうにして、結局「行っといで」とだけ言い、また新聞を読み始めた。
・・・
メモ:30℃の中散歩に出てはいけない。家を出てから10分しか経ってないのに、背中は汗でじっとりしている。空気が重くて息がしづらいくらい。ちゃんとした歩道がないし道の名前はみんな似たようで(中略)私はだれかの家の前の区画*1のようなところ…と呼べばいいのか?そんな隙間を歩いた。芝生のあるところから始まるのだけど、すぐ緑はなくなり石だらけになる。車が自分のすぐ横を走り抜けて恐ろしいし、なんなら自分が立ち止まって車が通るのを待つときもある。*2


このくだりを読みながら私は、わかる〜〜〜〜〜〜!!!となった。共感しかない、このオーストラリアから来たヤング・ガールに。歩きたいよね、でも歩かせてくれないよね…?わかるよ…この歩道への共感、マレーシア渡航初期あるある(?)が、この本を読み進めるドライバーになったことは間違いなく、なんだかとても嬉しかったのだった。この後にも、主人公の彼女が「こうしたい!」と主張したことに対して同世代のいとこに「いや、ここはマレーシアなんだよ」と諭される場面があったりして、2つの世界、というより、マレーシアの中の中華系仏教徒とマレー系イスラム教徒と、オーストラリアで育った人の欧米的価値観との3つの世界のなかで揺れ動く主人公の姿が面白い一冊だった。


読み終わって次に読む予定なのは先述のチェンマイの古本屋で買った本。チェンマイにも良い書店が沢山あるようで、少ししか回れなかったのが悔やまれる。中でも一軒、すてきだったお店*3では、マグネットをお土産に買ってきた。かわいくて「これはお店の名前ですか」と訊いたら「そうです」とのこと。
「なんて読むんですか」
「ロウです。意味は、tell a storyです。」
「…(キュン)!!!」
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なぜ2色がんばって厳選した?もっといろんなバリエーションがあって…全色買えばよかった…と、いま後悔しています。

 

 

 

*1:a nature stripというのが原文表記。Australian Englishらしい。オーストラリアで車道と誰かの家の間に横たわる歩道とも庭の延長ともつかない空間のことを示す言葉のよう。

*2:ちなみに私の英語での読書力は中の中くらいだと思う。小説を読んでいてわからない単語がぽこぽこ出てくるが、一字一句調べると読み進まないので調べない。なんとなくこんなことを言ってるんだろうなと思いながら読む。とはいえ推測で疲れるから全然進まない。この訳を載せるにあたっては当該箇所の不明点を調べましたが…

*3:ここはタイ語の本しかなくて、見本も少なかったので中身がわからず本が買えなかった。zineもいっぱいあった。