パジャマのこと(香港に行ってきました 1)

30歳を過ぎて時がたっているおかげか、図々しくいろんなことができるようになったし、そろそろやめなくてはいけないのにまだやっていることもある。


たとえば駅のホームでおにぎりを食べるのはそろそろやめたほうがいい。

いや、おにぎりならまだいいかもしれない、から揚げとかのガッツリ系は「急いでて仕方なく」感がなく「欲望のまま」すぎる。お腹空いたの我慢できなかったのかなー、みたいな視線(実際には誰も見ていないのだが)を感じる。そういうのはヤングな人がやることだ。ここでのヤングの定義はおよそ25歳くらいまでとする。もう33歳なのだ。会社員になって10年経って、中堅もいいとこだ。おそろしい。


同じように、本を読みながら歩くのもやめなくてはいけない。でも、買ったばかりの新しくて面白い本を電車で読み始めると、ついつい家に着くまで歩きながら読んでしまうことがある。家に着いても玄関で読んでいたりもする。これも広義で言うとから揚げの「欲望のまま」感の仲間であり、そろそろ避けてゆきたい。要は分別のなさを晒さず、スッとしていたいのだ。

しかし最近はみんなスマホを見ながら歩いているので、本を読みながら歩くのも大して変わらないんじゃないかと思う。それに、本を読みながら歩いていないとき、わたしは大抵スマホを見ながら歩いている。これも移動しながらスマホで書いている。意識して「ただ歩いてみる」と、とても清々しい気分になれることも知っている。低きに流れて後戻りできなくなっている感がある。

 
それでも「まだそれやったことないなー」と思いつつ憧れるのが、飛行機にパジャマみたいな格好で乗ることだ。


白人の家族連れに多い気がする。パジャマフライトファミリー。大きめのTシャツにパーカー、スウェットパンツ。わりと本気目の枕。はだしにサンダルか、いかついスニーカー。小さい子どもはガチでパジャマだったりする。きっとアジアに来るヨーロッパまたはアメリカの人たちは、フライトが乗り継ぎも含め長時間に渡ることも多いから、こういうスタイルになっていったのだろうと想像する。


たぶん世代が古いせいか、わたしの親は「飛行機に乗るならちゃんとしないと」という意識があった気がする。空港に行くならジャケットを着ないと…という謎のやる気は、おそらく初めて飛行機旅行した世代故の「最高級のお出かけ」に「よそいき」で臨む気持ちの現れなのだろう。なにしろパスポートを持って沖縄に行っていた世代である。

(調べたら海外渡航制限が解除されたのが1964年、沖縄返還は1972年のことだった)


そんな親に育てられ、私は飛行機にはきちんとして乗らなくてはいけないという意識を植え付けられたのかもしれない。実際は夏フェスに行ったりインドに行ったりできちんとするどころでないことも多かったけれど、出発準備をしていると、なんとなく未だに「あんたもうちょっとちゃんとしなくていいの?」という声が聞こえてくるのだ。

 

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今回、深夜発香港行きのLCCに乗ってみたら、香港の人たちもいい感じにパジャマだった。香港経由で中国に帰るふうな人たちは、私なんかより圧倒的にうまい具合に白人ナイズドされている気がする。飛行機は特別なものだからきちんとしなきゃなんてきっと思ってなくて、飛行機に乗ったら寝るし、楽な服装がいい、パジャマがいい、と思っていそうだ。それがなんだか羨ましい。堂々として見えるからだと思う。彼らの妙に荷物が多くて、そのうえかさばる枕を持っているのも羨ましい。苺を3ケース頭上の荷物入れに入れるなんて格好いい。私なんて「飛行機用のちゃんとして見えてラクな服」を探し求めて、飛行機に持ち込む荷物をいかに少なく効率的にするかを考えて苦しむのに。しかも考えたのに結局なぜか荷物は増えて重くなって苦しむのに。


ちなみに現在の「飛行機用のちゃんとして見えてラクな服」とは1年ほど前に巡り合っており、出張の多かった前職で大活躍した。ワンピースでゆったりしており、襟があり、ポケットもたくさんあり…とてもいいのだ。今回の香港旅行は出張ではなく旅行なんだから、それこそ全然きちんとしなくていいのでは、と心によぎったのだが、結局これを着て来てしまった。早くパジャマの世界に行ってみたい。