コアラのこと



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昨年の5月6日ごむの日に、私とごまさんでやっている活動gommが10周年!となり、なにか記念になることをしようと喋って決めたのが「オリジナルのビールを作る」「ピクニックをまとめたzineを作る」の2つであった。
その後コロナが落ち着かなかったり二人それぞれに病気をしたりで一切なにもできていなかったのだけれど、つい最近になって「次の5月6日が来てしまう」と焦り始め、急遽zine作りをスタートさせた。
クラウドで写真の整理をして、ZOOM会議で構成を相談して…とやっていたのだけど、結局「いちど合宿して進めたいね」ということになり、ごまさんに名古屋に来てもらうことにした。我ながらよく乗り切ったと思うので書くのだけど、入院から退院後の休みを含めて18連休したあと、2勤1休9勤1休9勤でなにかを取り戻すように働いた。そのため、くたびれて東京に赴く元気がなかった。来てくれてありがとう。

さて、zine作りへのやる気は満点なのだが、私たちには行かなくてはならぬ場所がある。
東山動植物園である。
昨年末に遊びに来てもらったとき*1、夕方の閉園間近に駆け込みで東山動植物園に行って、蛍の光が流れる中で大慌てでレッサーパンダとコアラを見た。
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薄暗いガラガラの園内、レッサーパンダは元気でかわいく動き回り、コアラは寝ていた。寝ていたが、コアラは、かわいかった。24時間のうち20時間は寝て過ごすという生態への憧れと共感。心身がとてもくたびれていた二人に響いた。*2


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もう一度ゆっくりコアラを見たいし、かわいい園内フードがあることにも気付いてワクワクの再訪日は、いい陽気で桜も満開、最高の動物園日和、混んでいた。ゾウもキリンも、すごく近くで見られるし、元気で、とっても美しかった。ライオンの形のピザも食べた。
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コアラを見に行くと、なんたる幸運。一頭は起きていて床にしゃがんでいた。そこからタタタっと木に登って、歩いてユーカリを食べに行く。軽やかで堂々としていた。もしゃもしゃやっている姿をまじまじと見て、目が合いそうなほどだった。相手の思いはいかばかりか。
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ほかの子はみんな寝ているけど、どの寝姿もかわいくてうっとりした。背中の毛の感じ、古い毛布の地が見えてしまっているようなもさもさ具合がたまらない。
最後に一頭、お腹を上下させて寝ているのを見ていたら、パッ!と目覚める瞬間にも出くわした。目覚めたあと、本人はちょっとキョロキョロしてぐーっと伸びをしたと思ったら、また寝た。きゃ〜と声が出てしまうほどのかわいさだった…そして眠気をたんまりともらった。

 

ボヤ〜としたまま、売店でコアラのぬいぐるみを買って、夜の作業を見守ってもらった。
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東山動植物園は植物園も素晴らしくて、名古屋に越してきてから4年もこれを見逃していたのは悔やまれるほどだった。年間パスポートを買う気持ちが生まれた。


海外旅行ができるようになったら、コアラを抱っこしにオーストラリアに行きたい。


 

*1:こう書いてみるとごまさんは彼氏よりも名古屋に来てくれている気がする…

*2:あと二人とも動物占いでコアラなのでシンパシーもあった。

薬を忘れないこと


お腹をサポートするために薬をいろいろと出してもらっている。
入院中は服薬くらいしか課された仕事がない*1上に、「飲み終わりましたか?」と看護師さんがタイミングよく聞きに来てくれるので、基本的に飲み忘れることはなし。しかしこれは退院後も同じ調子でできるのだろうか…や、無理じゃろ…と不安に思って、まずは毎日何を飲むべきか整理するために全てを机の上に出して袋に詰め替えた。*2退院直後、実家で母と一緒に3錠ずつに分けたり袋に入れたりしながら喋って「こういう軽作業しながらべらべら言い合うの、女同士って感じするな…」としみじみした。
父方の祖母が生きていた頃、祖母宅に遊びに行くときと祖母の通院が重なると、この薬を仕分けする作業を母と私がしていたような気がする。錠剤のカラを食材代わりにしておままごとをしていたことをふと思い出した。いろんな色があり形があるカラのシートを器に入れて混ぜてみたりして、ミックスベジタブルのようなつもりで遊んでいたのだった。その頃の祖母と張り合えるくらいにいろいろ薬が出ている…おばあちゃん、わたしここまで成長したよ!(ちがう)
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せめてもの慰めに、PLAZAで売っていたバーバパパの袋を使っている。IKEAに行ってかわいい模様のやつを買おうかと思ったが、名古屋駅の中で足りたのでPLAZAに感謝した。

 

しかし、詰め替えただけではまだ不安…なぜならタイミングによって飲むものが違うから。
リズムとしては朝食前にA・Bを飲み、朝食後にC、朝食2時間後にD、昼食前A・B、昼食後C、夕食前A・B・E、夕食後C・F、夕食2時間後D・G・Hと続く。GとHは花粉症の薬。
ABCあたりはなんとなくいけるのだが…と嘆いていたら「そういうアプリがあるんじゃない?」と言われて目から鱗だった。
検索したらあるある!勢いでインストールして設定してみた。
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この4人が時間になるとスマホの中から呼びかけてくれる。飲みましたと報告すると褒めてくれる。ちょっとバグもあって、飲んだと言っているのに怒られたりもする。設定した時間に間に合っていないからだろうか。全面的に褒めてほしいので運営に改善を依頼してしまった。
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この半月、おかん・執事・ギャル男の3人にサポートしてもらったが、どうやら1番ギャル男と相性がよさそうだ。全員、放置しているとすごくしつこく通知をくれるけど、ギャル男は心配してくれる度合いが低くて良い。「ガン無視系?」って誰にも言われたことなくて、良い。
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ギャル男に急かされて、あすけんの女には泣かれて、アプリの中の人たちに助けてもらいながら生きている2022年だ。*3

 

 

 

*1:あとは、病棟のなかをぐるぐる歩き回るのと、先生が来たらいつでも腹を見せられるようにしておくのが仕事。

*2:かさばる漢方薬があるためピルケースは使用しづらい。

*3:これ書きながら、普通のアラームなりカレンダーアプリできっと同じことができるんだろうなと気付いたけど、しばらく気付かなかったことにする。

止まらぬ甘味と冷凍バナナのこと


何度も書いているのだが私は20歳頃まで甘いものが苦手だった。

和菓子もクッキーも果物も好きじゃなくて、特に生クリームのものは避けていた。たぶん小さい頃になにか食べて吐いたりしたことがあって、それ以来ずっと嫌いなような気がしていて、おやつにツナマヨおにぎりと唐揚げを食べるのが20歳までの人生であった。
最初の転機はアメリカ留学で、マフィンやらクッキーやらのパワーに負けて(おおいに太って)帰ってきた。
第二の転機は30くらいから、段々と仕事中に糖分を求めるようになってきて、残業しながら「ぷにたま」を食べたりし始めた。
昨年の入院は完全に第三の転機となった。とにかくホットケーキが食べたくなって退院してすぐ食べに行ったり、甘味への思いを発散させるべく病院から親兄弟や友人にお菓子を贈りまくったりした。

いま、なんとか身体に良さそうなものを食べながらも、甘いものがほしくてほしくて、我慢せず摂取している。
退院以降、食べたものを振り返ると毎日なにかしら確実に食べていて、別な病気になるんじゃないかと不安になるほどだ。

赤福
プリン。
レモン味のお饅頭。
金柑の入ったあんパン。
お餅にジャムをのせたもの。
ココア、ミロ、ヨーグルト。
草餅、桜餅、バナナ。
らぽっぽファームのクッキー。
うぐいす餅。
パパイヤ、酒蒸し饅頭。
冷凍バナナ、パパブブレのグミ。
たまご蒸しケーキ。
森永の焼プリン、そばぼうろ。
さくふわさくらん、ミルクティー
セブンイレブンピエール・エルメ印、ピスタチオとラズベリーのアイスクリーム。
チェー、ミニストップのプリン。

大丈夫かな。
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直近の発見は冷凍バナナである。
2月末に入院する直前に、家にあったバナナが確実にだめになるなと、皮をむいてジップロックに入れてそのまま冷凍したら、それがアイスクリームの代わりのようになってとても良かった。凍ったまま食べるのだ。
しかし買って置きっぱなしにしていたアイスクリームがずっと冷凍庫にあったので結局我慢しきれず食べてしまった。翌日お腹が痛くなったのですこし反省したところ。
気をつけなくてはいけない。冷凍バナナにしとかないといけない。

しかし明日の朝は桜あんぱんを食べる。頭もお腹も歯もなんとか頑張ってほしい。

生まれ変わった下北沢のこと


退院したその日に実家に帰った。
気になっていたことがあったのもそうだけど、1月末からおよそ1ヶ月以上、ほとんど誰とも喋っていない状況で、精神的にきつかったのもあって帰った。体調体温排泄の報告か、仕事の連絡か、「ペイペイで」くらいしか声に出していなかった。皿洗いしたり薬の整理をしたりしながら母とめちゃくちゃ喋った。
食事の管理がつらいので、欲を言えばそのまま実家に留まって半月くらいご飯を食べさせてもらう暮らしをしたい気持ちもあった。しかしまぁ実家にいればいたで面倒くさいこともあり、職場は職場で「待ってますね」と言っていただけるありがたい状況もあり…とりあえず二泊三日の東京滞在とした。

 

親のこともありつつ恋人にも会わなくてはと下北沢まで出る。変わった変わったと聞いてはいたが、何年ぶりに駅の外に出たか覚えていないほど久しぶり。多少工事中のところは残りつつも、完全に新しくなっていて驚いた。
日記のお店『月日』に行きたくて、井の頭線西口(ここは変わってない)から地図を見てフラフラいくと、通ったことのない道や工事中の空間を経てかなりの人が一定の向きに流れていく。なんだろな…と思ったら、月日を含むBonus Trackという場所がその人々の目的地で、当日はPodcastのイベントをしていて大賑わいだった。文脈が全くわからないうえに酒が飲めないのでなんとも言えない気持ちになった。休みの昼間でお祭りで、ビールもワインもあちこちで売っていて飲んでいる空間、普通なら喜び勇んで買うのに飲むのに。少し悲しい。
念願の月日は、蟹の親子さん『にき』を読んで想像していたのよりもかなりコンパクトなお店だった。ひっきりなしにお客さんが出入りして、書店の反対側のコーヒースタンドも行列ができている。大変な日に来てしまった。
買うと決めていた古賀さんの『ちょっと踊ったりすぐに駆け出す』、武塙さんの『爽やかな茸』に加えて、田巻秀敏さん『貨物船で太平洋を渡る』に惹かれて購入。
ついでにお店の人に日記本を置いてもらうにはどうしたらいいか訊いた。門戸は開かれている。いつやるのか。
新生B&Bにも寄った。こちらは想像以上の広さと冊数で驚いた。本の冊数は総合書店よりも少ないのだろうけどすごく多く感じたのは、すべての棚に読んでみたい本が詰まっていて気が抜けなかったせいだろう。はあ…情報量…情報量…と息切れしながら外に出た。
これにfuzkueがセットになっているんだから、すごい商業施設だな。かわいらしい保育園も並びにあって、ああこれがいまの東京の文化なのか、という感じ。

 

少し歩いて駅の位置関係を理解し直した。高校大学から新卒の初期までかなりの頻度で下北沢にいたが、よく行っていたあの店この店はどうなったんだろう、そこまで見て回れなかった。
当時は希少だった電源の使えるカフェにThinkPadを持ち込んでレポートを書いたり、マクドナルドの2階の窓から隣のパチンコ屋のネオンを眺めつつ課題のアイデア出しをしたり、お好み焼きにハマったり餃子にハマったりホットワインにハマったり、東日本大震災直後の自粛ムードの中で1人タイ料理屋にビールを飲みに行ったり、まあそういった諸々の20代の思い出がある。
渋谷や吉祥寺がそうであるように、下北沢もこの20年で商業エリアの範囲が徐々に拡大しているのには気付いていた。しかしデカくてキレイな箱ができるというよりも、小さくてイケている店がポツポツと中心から離れた場所にできて、それに引っ張られる人流を目当てにまた小さな店が連なる…というのが常だったように思う。今回は駅と線路という骨格のようなものが変わったから街全体に大きなインパクトがあったのだな。小田急の駅ビルなんか小綺麗なヨーロッパみたいなムードを出していた。下北沢なのに!!!

ともかくあっち側のピーコックとこっち側のマクドナルドがこんなに近距離だったなんて、駅舎がなくなるこの時まで知らなかった。もうあっち側とこっち側で待合せを失敗することもないのだと思うと、すこし寂しいような不思議な気持ちだ。

そのあっち側とこっち側の間の空間にできていた猿田彦珈琲でお茶を飲んで帰った。おまんじゅうがあったので食べた。バレンタインジャンボ宝くじを買ったが当たらなかった話をした。
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逃避のこと、国会議員に聞いてみた、のこと


時間はあるので仕事をすればいいのだが、やる気が出ないので現実逃避ばかり進んでいる。

フォルケホイスコーレという、デンマークの学校に留学することを夢想しながら検索したり。
フォルケホイスコーレは英語にするとfolk highschool 、全寮制の教育機関で、学位等にはならないが学びたいことを選んで2週間なり半年なり居させてくれるところ。安価なのがポイント。高校から大学の間のギャップイヤーに利用したり、成人した人も仕事を一旦やめて再勉強のとっかかりするような場所だ。
いつか行きたいなと思ってから10年くらい経っている。

あとはスリランカに行くことを夢想してアーユルヴェーダリゾートの検索をしたり。
TwitterInstagramで見かけた知らない英単語を即検索したり。
Eテレ栗原はるみが使っていたフライパンが便利そうだから「これは本人ブランドのものに違いない」と思って検索したり。
とにかく検索して逃避している。

昨日買ったレタスクラブのふろく「美文字ドリル」に取り組んだのはなかなか逃避らしい逃避だった。
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こんなに大きな文字を手で書くこと自体が久しぶりで、すごく難しい。でも結構面白かった。写経とか塗り絵とかも、もしかしたらいいかもしれない。


家から持ってきていた本も読んだ。積ん読になっていたもの2冊。

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』が話題になっていた立憲民主党の小川議員が、ライターの和田氏の疑問質問不満に答える…かのように見せて、和田氏ご本人がすごく勉強されて、疑問質問不満の理由を自分なりに解釈されていく過程が書かれており、素晴らしかった。同時に、小川議員の返事と政策案も真摯で明快で、見えなかった景色が少し開かれるようだった。明快でないときは謝罪して、改めて答える姿勢も読んでいて気持ちよかった。
世の中や政治は一発逆転では変わらない*1、諦めずに少しずつやっていくしかない…という事実への納得感。既にうまく行かなくなりつつある超高齢社会の日本が"脱成長"へ考え方を切替えるにはどうしたらいいのかという問い。もっと知りたいし知らなくてはいけないし、意見を持たなければと思わされた。ニュースも新聞もロクに摂取していない、高校の公民の授業も忘れきっている私にとってはとても良い刺激になった1冊だった。すごく読みやすく面白いので、多くの人に勧めたい。友人知人には賢い人が多いのであまり必要でないかもしれないけど…。
それと、映画はネトフリで観られるようなので退院したら必ず観るつもり。巻末の参考文献も、読みやすそうなものから読みたい。


もう一冊はこれ。

対談相手がとても豪華。谷川俊太郎宇野亞喜良横尾忠則荒木経惟萩尾望都佐藤雅彦高野文子甲本ヒロト吉田戦車

…読みたくなるでしょう。

 

 

*1:戦争となればまた別かもしれませんが、一旦それは日本では起こらないという前提で…

あがらぬこと


逃げ出したいけどやりたいことがない。
中学高校大学、勤め先その1その2と逃げ続け、その都度なんとなくいろいろ時間を潰してきたけれど、もう逃げ場がないようだ。
37歳の現実をご覧なさいよということか。
こんなことブログに書くべきではないかもしれない*1が、お金の心配がなければまだまだ逃げ続けたと思う。
そこの覚悟が甘いから苦しんでいるのだろうな。
ジャンボ宝くじが当たるのを祈るしかないか…そういう大人になりたくなかったのにな。


昨日、一昨日は本当に心が沈んでしまって、なにもしてないのに涙が出て出て困った。
癌のような、もっと難しい病気*2というわけでもなく、まして痛いところもなくそれなりに元気なのに、"まったく元の状態には戻れなさそうだ"という事実が心底つらく感じた。
でも加齢に伴って、若い頃と同じように飲み食いできなくなるなんていうのは往々にしてあることだ。焼肉のカルビはもう1枚も食べたら充分だ〜、みたいなこと、それの拡大版がジワジワではなくドカンときただけのこと…
なんて思えるのは今すこし気が落ち着いているから。
飲み食いすることだけが趣味なのに、これがずっと繰り替えされるとしたらもうアイデンティティ・クライシスが起きるのではと感じもしている。わたしはもう一生『どんどん庵』のカツ丼を食べられないのだろうか?*3
そして飲み食い以外の趣味*4は、なにがしたいか全然わからない。

 

ウクライナのことロシアのこと、コロナのこと、恐ろしいことが次々に起こり、なんだかなあという気分が高まる。

 

兄弟や友人に慰められ、その優しさにさえ猜疑心を覚えながら重湯を飲む。
重湯とみそ汁とくず湯とお茶。みそ汁は具なし。
こんなにバリエーションに飛んだ水分を同時に口に入れたことはない。なんとなく三角食べする。
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散々落ち込んで、仕事もせず、気分転換にオレンジページレタスクラブを両方買って読んだら少し気が晴れた。
今日は昨日よりも元気だなと思っていたら、補中益気湯が処方された。元気を補ってくれるらしい。たのむ。

 

 

 

*1:もうなんでも書いてるけどな…

*2:そういう人たちも同じ病棟にいて、患者同士で「死ぬのかなぁー」とか話してたりする…

*3:どんどん庵のカツ丼についてはこちらから→ カツ丼のこと - いろいろなことがある

*4:Twitterとブログは呼吸のようなものなので趣味にカウントしない

やる気があったのはいつまでのこと


先月末に腸閉塞の手術をしてもらって、もりもり回復して仕事も復帰して、よーしよし、でも胃もたれする感じが治らないなぁ、と思っているうちにスルスルと、やる気がしぼんでしまった。

食べると気持ち悪い→動かなくなる→やる気減る→テンション下がる→やる気ますます減る
のがルート1。
食べると気持ち悪いからあんまり食べないでおこう→元気弱くなる→やる気減る
のがルート2。

この1と2のルートを日替わりでやってやる気が最下限まできた末に、なんかもう…よくない?と、甘いものをえいやと食べたら、今度は「気持ち悪い」から「痛い」にお腹のモードが切り替わってしまった。
タチが悪いのは食べたその時ではなく、食べて「よーし」と心改めたその日の翌日の夜になって痛くなったことである。
あれか…?あのバナナとプルーンのチャイ風味マフィン…とても美味しかったやつ…か…?と振り返るのも悔しい。お腹にはぜひ空気を読んで、ダメなものはその場でダメと言ってほしい。

痛みを撫でさすりながら"腸閉塞 繰り返す"とかで検索すると、かなり全国各地で繰り返されているらしく、かつ「慣れてくると自分で直せます」みたいなことも書いてある。
ふむ*1、と思って絶食すること48時間。
ロクに仕事せず、そろそろクビか?と思ったところで治らないので「やっぱり病院に行ってみよう…」と行ってみたらなんと、徐々に痛みが収まるではないか。
なに、60時間絶食すれば治ったの…!?
とやや憤りつつ主治医に状況を伝えると「入院したほうがいいですよ。」とのお返事。
え、治ってるのに!?!?
ふしぎとこの段になると入院したくない!という強い気持ちと仕事への責任感がワーッと出て、一旦家に帰った。焦って仕事の引継ぎメールを書き連ね*2、荷物を作って寝た。
寝るとお腹がバーンと痛くなったので「さっきはごめんなさい、入院します…」と真摯な気持ちが生まれた。

そして入院当日にはまたお腹は痛くなくなっており*3、わたしはいったい…なんなの…となりながら入院させてもらっている。
もはや見知った景色、見知った方々に囲まれて、新鮮さはゼロである。
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お腹は痛くないし、時間は無限にあり、諸々準備もしてきて仕事はできる状況なのだが、やる気が出ない。気力が沸かない。

「やったるで」「わたしが」「よっしゃ」「わたしが」「いっちょ」みたいな気持ちが、今の会社に勤め始めたときやコロナ禍になった直後とかは、あった気がするのだが、なんだか消えてしまったよう。
「ご無理せず」「みんなでカバーしあいましょ」「お互い様ですよ」と言い合えるのも最高だし、そうできる体制作りも大切で、会社たるものそうあるべき。
一方、ある程度「わたしが」と思えないと頑張れなくないですか。そのへんの加減が難しい。

そしていま、その「わたしが」の気持ちが、どこを探しても見当たらない。
私がやらなきゃいけないこと、全部がかったるい。
いつも苦しんでる本質的なことだけじゃなく、些末なことすら追いつかない。
でも仕事ってかったるいことをやるからお金がもらえるんだよね。
なにもしてないのにお金がもらえる有給休暇制度に今月は感謝しつつ、もう、一旦休職してみようかしら、なんてことを考える。

 

それを誰に相談することもできないな、と思った末にインターネットに堂々と書く。

 

 

 

 

 

*1:予兆がしたら食べ物を減らしましょう、みたいなことが書いてあるのだが、予兆がわからず直球で痛みが来たので食べるのをやめた。こうなるとなぜかお腹は空かない。

*2:ここに書くことじゃないけど本当に今月働いてなくて、みんなにばっかり働かせてごめんなさい。

*3:本人?に似て内弁慶なお腹だね