ぶりっ子おばさんのこと

3週間くらい前から、自分の心の中からヌルッと出てきて、じっとこちらを見ている言葉がある。
「ぶりっ子おばさん」である。
誰に言われた訳でもない、誰かが書いていたのを読んだ訳でもない。鏡を見ていたらふと「ぶりっ子おばさん…わたしはぶりっ子おばさんなのでは…」と、今の自分の様子に名前が付いてしまって、とことん戸惑っている。

きっと既に誰かがこの言葉を使っていろんなことを論じていることだろうけど、一旦、わたしの中から出てきた言葉としてここに書かせてほしい。書かないとぶりっ子おばさんとしての自分への呪いのようなものがこびりついて離れなくなりそうなので。

年始には「今年38歳かあ、頑張るぞ〜がはは」と笑っていたのが、なんだか急に勢いを失っているここ最近。それは36歳から37歳になったときには感じなかった「38、まさにアラフォー」というインパクトにじわじわとやられていて、自分が「30代はおばさんと言っていてもなんとなく冗談めいた呼称であるものの、40代は本当におばさんだ」と無意識のうちに思っていたことをまずは突きつけられている格好。
しかも、目の前にいるのは理想的な「強く優しく頼れるおばさん」ではなく、「ぶりっ子おばさん」なのだ。
ぶりっ子というのはたぶん「かわいこぶりっこ」の略で、もっと細かく言うと「客観的にはかわいくないのに、かわいい子の振りをしている」ということだろう。そもそも「おばさん=かわいい・かわいくないの概念*1から外れている存在」という前提があって、だというのに自分はかわいい存在であるということを表現している、20代と同じステージにいると思っている…のが、ぶりっ子おばさんという言葉に詰まっているわけだ。

常々、自分のことを批判するのに思いつく悪口は、他人に対して思ったことがある(言ったことはなくても)悪口である、と思っているのだが、この「ぶりっ子おばさん」についても、言葉にしたことはなくても誰か年上の女性に対して思ってきたことなんだろうなと思うとそれも情けない。いい年なのに○○、とか、この年齢で△△だなんて、とか、先輩方に思ってきたのが、いま自分に向かっている。それがとてもとても恥ずかしい。
令和の御時世、どんな年齢の人が何を着ようと誰も怒らないし、むしろそんなのはご法度である。私もおおいにその流れの恩恵を受けて、かつては「年甲斐のない」と言われたようなものを着たり、やったりして生活している…なのに不意にそれが自分を追いかけてくるのだ。
例えば化粧をして下まつげを伸ばして「盛れたな、ギャルいな」と思った次の瞬間に「ぶりっ子おばさんだ」と気づいて呆然とする。
例えば年上の同僚に「はーい☆」と良い返事をした後とか
例えば24歳とかの部下に嫌われたくなくて、楽しく優しく元気に話してみた後とか
例えばユニクロで白いゆったりしたカーディガンを買って着始めた3日後とかに
「これは…ぶりっ子おばさんでは…」とショックを受ける。

思い切って彼氏*2にこのことを話してみたのだが「言われてみれば確かに、ぶりっ子おばさんは存在するが、それを不快に思うかはわからない、人による」という結論に。*3そりゃそうだろうが、やっぱり不快に思われたくない…どうしたものか…
前々から読まなくてはと思っていた課題図書『我は、おばさん』を今こそ読むべきだろうか。好きなように生きるには強い心が必要なのだろうか。

 

 

 

*1:もっと言うと性的なものとして見られるかどうかみたいなこと

*2:30代前半男性

*3:いちおう「そんなこと思わなくていいよ〜!ぶりっ子おばさんじゃないよ〜!」みたいなフォローもあったが、お付き合いしている者同士のフィルターがあるのでそこは割愛