オザケンを観た(20年振りに)

1995年、小沢健二の武道館のコンサートに行った。たぶんそれがわたしの人生初のライブ体験。楽しかったけど小学4年生には長丁場すぎたような記憶がある。とにかくラブリーが終わらないのだ。それかドアノックが終わらなかった。どっちだったか怪しいが、とにかくどっちかが終わらなくて、ハンドクラップしすぎて手がビリビリしていた。
わたしには年の離れた姉がいて、小沢健二の大の大の大ファンだった。(※多分いまでもファンなのだが心境が複雑そうなので詳細は割愛) 
小学生のころ、どこに出かけるでも車の中のBGMは(いわゆる)渋谷系だった。テープに録音したやつである。自然と、アルバムLIFEや、シングル曲はそらでうたえるようになり、朝はウゴルーを見て、夏休みはポンキッキーズを見ていた、サブカル小学生の出来上がりである。
 
そのあと流行に乗ってGLAYやゆずに傾倒し、GO!GO!7188コピーバンドをやりながら、KERA!とZipperを読んだりもしたけれど、いちおう最後までOliveは読んでいた。
大学のとき、刹那をiPodに入れてよく通学中に聞いていたと思う。
姉は、ひふみよ のツアーを観に行った。その頃すごく久しぶりに通しでLIFEを聞いたら、これぞという曲しか入ってなくて、びっくりした。
 
 
 
以上は前段です。
 
zHcSa0A_rw.jpg
 
さて、2017年、オザケンが復活(?)して、Mステに出て新曲を披露し、フジロックに出るよと生放送で言ったというので、今年はフジロックに行こうと思った。
 
実際はわからないけど、わたしは、オザケンはきっともうフジロックに出ないと思う。出たとしてもGREENやWHITEではないだろう。深夜、ピラミッドガーデンでひっそりと朗読していたのがきっと今の彼が本当にやりたいことなんだろうなと思いながら聴いていた。それこそブギーバックはいまの小沢健二の曲ではないと思う。
でも今回WHITE STAGEの一曲目としてやってくれたブギーバックは、もちろん嬉しかったし、カッコよかった。
雪崩のように押し寄せてくる背後の人たち(当たり前のリアクションだと思う)から目の前にいた家族連れを守って、わたしはテンションを上げきれないまま最初のサビが終わってしまった。
ちなみに家族連れの奥さんの方は子どもを抱っこして「もう出ようか」と旦那さんに声をかけていたけど、旦那さんはもう一人の子どもを抱きながら、断固たる視線で拒否していた。わかる。
ちなみついでに、ブギーバックの最後にあった、「フジって言ったらROCKて言え、フージ!ROCK!フジフジ!ROCK ROCK!」のコールアンドレスポンスはどう考えても「ワンて言え」に聞こえて、真剣にワンワン吠えてしまった。まわりのみんなもワンワン言ってたと思う。本人の解説(深夜の部にて)がなければずっと、なんで犬だったんだろう…1stアルバムに関連している…のか?とか考えていたと思う。教えてくれてありがとう。
 
 
スタート1時間前にWHITE STAGEに入って、真ん中より少し後ろくらいの場所に座って待っていたが、30分前には入場規制になって、イスを畳むように言われた。立ち上がったら全くステージは見えなかった。このときだけ20cmくらいの厚底を履きたいね、なんて友達と笑いながら、ステージの上の画面に映像が流れるから、それを観るしかないと思って待った。そう思いつつ、「小沢の最近の営業スタイルで行くと、ステージを写さない可能性が大いにあるな…」と懸念していた。
 
その懸念はバッチリ当たった。
 
jhCtoiSjSa.jpg
歌詞しか画面に流れない。様子が全くわからない。セットリストは神だ、うれしい、ヤバい、でも、映像を流してくれ、てか歌詞をライブで見せるとかアイドルなのジャニーズなの?と思った(それをツイートしようと思ったけど誰かに怒られそうだったから自重した)。
とにかく、小沢健二の顔は一切見えないまま、誰が出ているのかわからないまま、文字を見ながら興奮したみんなと一緒に歌う会が始まった。
しかし、これでもかこれでもかとLIFEからの曲を怒涛のようにやり、合間に新しい曲を挟むセットリストは、教育者のように的確だった。みんなが、新しい曲を真剣に聴く流れができていた。Mステで演った 流動性について は、ちょっとよくわからなかったけど、今日はすごくよく聴こえた。アレンジも良かったのかもしれないけど、何故だか言っていることが心に入ってきた。
新曲の フクロウの声が聞こえる は、「今までの全部とこれからのことが入った曲」と本人が言っていたけど、なるほどびっくりするほど良い曲だった。
流動性について、それと、"Can't you see the way it's a"  が "完璧な絵に似た" に変わっているラブリー(噂には聞いていた)を、歌詞を見ながら聴いていて歌っていて、徐々に気付いてはいたが、最後の最後にこの曲を聴いて、歌詞を見せている意図を理解できた気がした。言葉を伝えたい、いま、思っていること考えていることを、文字で正確にフジロックのお客に伝えたいという意思があるのだろうなと思った。だから、ライブが始まってすぐの不満は、全く消えて無くなったのだった。
最後の最後にはほんの少しだけステージの様子を見ることもできた。なんか、本人は、光ってた。
V0eCv3Ld0T.jpg
終わったら、感謝の念がばーっと出てきた。
こんなにすごいステージをありがとうございました、こんなに良い曲を新しくありがとうございます、って、呆然としながら、ちょっと気持ち悪いけど、思ってしまった。
通勤中に音楽を全く聞かなくなり、流行りのミュージシャンにも疎くなり、ロックフェスにも何年もご無沙汰していた私は、もう二度と見る機会はないかもしれないと思って小沢健二フジロックに観に来た。こんなに感動して、さらに、この人の言っていることをこれからも聞いてみようと思うとは、予想していなかった。
それは幼いころの刷り込み以上のものがあって、いつのまにか、小沢健二の曲はわたしにとってとても大事なものになっていたことに気が付いた。聴いていると良い景色が見えてくるような歌詞ばっかりだった。そして、今は、なるべく良い景色が世界にあり続けるようにするために、新しい歌をこの人は書いているのだなと、終演後どんどん強くなる雨に打たれながら、思った。幸せだったけど、やっぱりめちゃくちゃ寒かった。
_var_mobile_Media_DCIM_115APPLE_IMG_5151.JPG
あー、行って良かった。ありがとうございました。おわり。