オザケンを見た(5年ぶり3度目)


2020年に発売された小沢健二のアルバム全国ツアー、名古屋公演のチケットをtwitter経由で譲ってもらった時点ではもうすでにコロナ禍がスタートしていて、すぐに公演の延期が発表された。そのときはまだ半年もすればなんとかなるかなと楽観しつつも、毎日家にいてどうなるかわからない世界を眺めていたのだった。
1年後再度公演は延期され、その間に配信で新曲が出され、『泣いちゃう』に泣いちゃうなどしていた。

泣いちゃう

泣いちゃう


そしてやっとやっと、今日がコンサートの当日となったわけだ。会社を早退けして(しかも朝はチケットを家に忘れて戻って遅刻してひどい)、走ってセンチュリーホールに向かった。開演時間ぎりぎり、初めて行く場所。

名古屋で聴く小沢健二には「この人はこんなにも東京を歌っていたのか」という衝撃があった。
語りにも東京の土地が、通りが、川が。東京以外に住む人の小沢健二の聞こえ方は一体どんなものなんだろう。小沢健二の頭の中にある情景は、ここにいる人たちの頭にどう浮かんでいるのだろう。私の頭の中に百道浜室見川も空想でしかないように、いちょう並木がぼんやりと素敵に描かれている脳内を思う。そしてわたしの東京タワーへの思慕に小沢健二の影響は少なくないなと、聞きながら気が付いた。じめじめしていない、あっけらかんとした東京の曙橋の晴れ渡る感じ。

コンサートの構成は新旧の曲が思わぬ形で入り混じり、あれもこれもこんなに聞かせてくれるのかという大盤振る舞い。全く休まずに続く演奏。バンドが大きくて素晴らしかった。座席のある会場で音楽を聞くのが久しぶりすぎて、初めはやや狭く感じたけれど、結局自分の範囲内で大変よく踊った。大変よく踊らせてくれた。
"語り"ではないMCはほとんどなく、ごく僅かにあった「芸能人としてダメかもしれないけど、子どもの写真をアルバムのジャケットに使ってしまった。子どもから出てきたものが大きすぎて…」と言っていたのが面白かった。「芸能人として」みたいな認識あるんだ。そしてその子どもであるりーりーは本日お誕生日とのことで、ちょこっとステージに出てきてもらったプレゼントのお礼を述べていた。 
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今は必ず未来のなにかになるというメッセージ。愛にはなおす力がある、毎日にはなおす力があるというメッセージ。そして90年代に僕を見つけてくれてありがとうというメッセージ。
日々のよしなしごとの中にいるとどんなことにも意味を感じたくなくなって、彼の放つ言葉の真っ直ぐさに鼻白む場面が多いのだけれど、こうやって直接言われるとそういうものかと思わされて涙が出る。歓びとか輝きとか、この人は生きてることを肯定はしてくれるけど、決して生ぬるいことをゆるしてはくれない。誰かに期待されていることをきちんと叶えなくてはいけないなと、少々飛躍した感想にまとまった。

 

とにかくなんかいいものをみせてもらったわ…とふらふらグッズとCDを買い、電車を乗り間違えて、平和園で餃子とビールをして寝た。f:id:l11alcilco:20220621085745j:image

 

 

 

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*1:5年前に観たときの記録はこちら↓