続、片付けのこと

引越し準備の断捨離活動。
1ヶ月前のブログからの進捗は、ある。
ありますよ。あるんだけど、全然終わっていく感じがしない。なんかまだまだモノがいっぱいあるな、という部屋だ。

先週は月に一度しかない不燃ごみの回収があり、この日は1つのピーク日だと思っていた。
母が「あなたが持っている器でほしいものがありそう。あと、IHで使える鍋もほしい」と言う。実家は最近になってコンロをIHに変えたのだ。近所の奥様がコンロの火が洋服に移って大火傷するという事件があって、我が家もやりかねないと兄が変えてくれたらしい。しかしもともと持っている鍋釜が軒並み非対応。「じゃぁ、名古屋に見に来てもらえますか」と聞いたら、旅行かたがた来てくれることになった。ついでに他の片付けも手伝ってくれるという。なんとありがたいことか。

不燃ごみの日の前日に母は来て、欲しいものは持って帰るか包んで名前を書いておくかしてもらい、そうでないものは捨てる。わたしが会社でピコピコ仕事をしている間に、その判断と作業をしてもらった。LINEで「あとなにかやる?」と来るので、ついでに食材や調味料も欲しいものがあれば選んでくださいと伝える。
退勤してそのまま母と外で食事をし、そのまま予約したアパホテルに二人で泊まって巨大なテレビを眺めながら寝た。

翌朝、家に帰ると何もなかった*1。食器棚の中のすべてがどこかしらに行っており、おお…これは…とっても片付いたな…と感心した。
「処分してる途中で気付いたんだけど、あなたまだここに少し住むんだもんね、乾麺のうどんとか食べられそうなものは捨てないでおいたから」と
母。や〜そうねそうね、助かりましたありがとう、実は冷凍庫にもうどんがあるのです、と言いながらゴミ袋を捨てに外に出る、途中で気付いた「これ全部捨てたらそのうどんも食べられないわ」。小さい片手鍋一つだけをゴミ袋から救い出した。
主に友人からもらった捨てられない器たちは先に避けておいたので、この器と片手鍋だけであと2週間ほどやっていく、全然なんとかなる。感謝のうちにすべての不燃ごみを回収場に出し切って、母とモーニングを食べて新幹線の駅まで見送った。
すがすがしく出勤する途中で、あれで全然なんとかなるけど、"捨てるか捨てまいか迷いに迷って避けておかなかったコップ"がもうないことに思い当たった。ああわたしのかわいいマクドナルド警部のビンテージガラスタンブラーよ!正式名はビッグマック警部だったかもしれない、とにかくアメリカがそのままコップになったようなあの大きさよ、牛乳を飲んだり麦茶を飲んだりしたコップよ…うおお…
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(中途半端に写り込んだ写真しかなかった)
こうなるから誰かに捨てるのを頼んで正解だったのだ。さもなくば私は1時間でも2時間でも、コップを掴んでみたりそっと置いてみたりと逡巡していただろう。これでよかったのだよ、これで…

こうして空になったなと思った部屋だったがそれは半分くらいの話で、残り半分はまだみっちりとモノが詰まっている。
その脇でフライパンがなくなって、味付冷凍しておいた鶏肉が焼けなかったりしている。代わりに小鍋で茹でて食べて美味しかったりもしている。

 

*1:ような気がした

壺の中身のこと

 

この10年で6回引越しした。
東京都杉並区→世田谷区→中央区台東区→新宿区→名古屋市中川区→中村区

都度都度すごい量のモノを捨てているのだけど、負けじとモノが増えるのでなにかがおかしい。スムーズにいけば超ミニマリストになってもいいはずなのに、なにか間違ってる。
この度めでたく、この引越しリストが1つ追加されることになった。いろいろなことがあったわけではなく、とにもかくにも自分勝手に7回目の引越しをすることにした*1。そしてそれを決めて以来、部屋の中で呆然とする時間が圧倒的に増えた。薄々わかっていたことに対峙している。改めてモノが多すぎる。


ほとんど読んでない本。ほとんど見返してない紙。ほとんど着てない服。一人暮らしなのに豊富すぎる食器。一人暮らしなのに5本もあるハサミ。三角定規、マスキングテープ、紙袋、そしてこまごましたSentimental Items…これはコンマリ用語である*2。実のところは玩具のようなもの。

 

引越しどうこうよりもずっと前に、るるるるんのクララさんに誘ってもらって『円頓寺 本のさんぽみち』に出店することになっていたので、ここで積ん読本をしっかり売って減らしたいと思っている。スーツケースいっぱいに分厚い本を入れて行くので帰り道のためにも心から減らしたい。名古屋のみなさん、11月18日土曜日、お立ち寄りのうえ購入お願いします。あなたの一冊が私の引越しを救う。図々しいですが…

 

さて本については解決する*3としてSentimental Itemsが本題だ。コンマリは“No matter how wonderful things used to be, we cannot live in the past. The joy and excitement we feel here and now are more important.”と言っており、つまり、「過去にしがみつくな、捨てろ!」ということだ。

この数年間の手帳とか、旅先で買った置物とか、聞く機械がないのに買ったCDとか、送付先が永遠に未定のポストカードとか、そういうものたちがあって、さらに、「壺」がある。
「壺」は、この6回の引越のほかにあったEXTRA引越しである「実家の引越し」に際して作ったものだ。実家の引越しはなかなかヘビーで、生まれてから一人暮らしをするまでのほとんど全てが堆積した地層を全部剥がすようなものだった。特に私が中学生くらいからヴィレッジヴァンガードソニープラザなどに通って買ったチマチマしたものたちが私を苦しめた。一人暮らしの家に連れて行っていないだけで、まだ好きなのだ!半泣きになりながらそのうちの殆どを捨てた。でも捨てたくないのが本心なので、この壺に入る分だけなら持っていていいと、自分に許可した。小さくてこまごましたものを、壺に入るだけ入れたのだった。壺と一緒にその後何度かの引越しをした。

 

でも実のところ、壺にモノを詰めたとき以来、私は壺の中身を見ていないのだ。
だから捨てることにした。
そのまま捨てれば良いのだけど、開けてみた。

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やっぱり捨てたくない!
でも捨てます。
とりあえず写真に残して、ウワーッとなりながら、捨てます。あーでもマジ捨てていいの?捨てていいの?こんなに?かわいくて懐かしくてすごくかわいいのに????
ウワーッッッッ

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*1:実家に帰らせていただきます。

*2:このブログはコンマリ登場頻度が高め

*3:実は全然解決しておらず値段のつかない本がすごい冊数がまだ家にあるのだけど

推しと健康のこと

推しがいると健康になるよ!
生活にハリが出て幸せになるよ!
などと喧伝されて久しいけれど
わたくし、直近の推しに7月頃に瞼をこじ開けられて以来、特に健康は感じていなかったのです。
なぜなら
なんか目が痛いなーと思ったらInstagramで推しの見たことない写真を探す旅に出てたせいだし、
どうも寝不足が続くなーと思ったら
Youtubeで公式の動画を過去から順に眺めてたせいだし、
Twitterでなんか界隈の人たちがざわついてるな…?と思ったら新しいコンテンツが配信されてて*1、あらあらと見に行ったりいろんな人の感想を見に行ったりするし
とにかくスマホの中に推しが住んでいると言っても良いほどに*2スマホを見る時間が増えて
既に肩も目も腰も痛いおばさんにとっては、嬉しいながらも新たな苦悩でもあるというところ。

しかしね
いいこともありました。

私はもともと夢女子*3でありつつ、「推しになりたい」気持ちを持つタイプのオタク。
2年前にはBTSのジョングクになりたくて美容院で恥を忍んで告白したこともありました。*4「彼のこのパーマにしたいです」と…。そしたら美容師さんもARMY*5でますますお近づきになるというラッキー事案があったり、今となってはジョングクさんが当時から2倍くらい分厚くなって可愛さよりも男前さをごりっごりに打ち出すポップスターになってしまい憧れる気持ちもなくなってしまったりしていることはまぁ置いといて
今回は推しがムキムキなので「わたしもムキムキになりたい」と思って筋トレを当社比ですこし頑張れるようになりました。
相手はマジで全身ごりっごりでシックスパックの持ち主なので、全く同じになるには相当やりこまないと無理なのですが、ゼロより多少やったほうがマシという観点で、まさに推しがもたらす健康への第一歩!
あとは、ランニングマシンの画面で推しの皆さんのパフォーマンスを見ていると延々と歩いたり走ったりできるということにも気付き、苦手だった有酸素運動も30分くらいはやって、汗をかいてからジムを出られるようになりました。ありがたい。

そんなわけでしばらく彼らに健康維持をインスパイアしてもらおうと思います。髪の毛を黄緑色とかにしはじめたら、覚悟を決めたんだなと思っていただければ幸いです。

 

*1:最近のアイドルの人たちのコンテンツ頻度というのは恐ろしくて、本人たちも運営側も全然休んでいる様子がないので不安になる

*2:推しの人が本当にスマホの中にいるサイズだったらかわいいなあ!

*3:夢女子ってもう死語ですか?リアコっていうの?

*4:この記事。 https://l11a.hatenablog.com/entry/2021/01/28/151313

*5:BTSのファンの呼び方。どのアイドルにもファンダムの名称があると知って震えました。

外貨のこと

(10月3日の日記です)

朝起きると、喉の痛みもほぼなくなって熱もなかった。あぁ、コロナとはいえ軽症で済んだのだなぁ、幸運だったと胸をなでおろし、ホッとしたのかなんなのか、二度寝したら目覚めたのが15時だったので驚いた。
昨日と一昨日は日中は起き上がって暇をつぶしながら過ごしていたのだが、疲れていたのだろうか。起き上がってお腹が空いていたので、冷凍のたこ焼きをオーブンで焼いて食べた。もう夕方のEテレの楽しいところが始まってしまう。

さて、みなさんご存知かしらないが私は結構ロマンチストなのだ。その証拠に、"旅行に行ったときに現地のお金を使い切らない"という地味な癖がある。
今やキャッシュレス化が大いに進んで、旅先で現金を使う機会なんて殆どないところも多い状況だけれども、つい数年前まではどこの国に行ってもその国のお金を両替するところから旅行が始まったものだった。ATMから引き出せるようになったのもこの10年以内で、とりあえず到着地付近ではどこの両替所のレートが良いか見て歩くというプロセスが、かつての旅にはあったのだ。
そしてその最後の方になると「この数枚の硬貨を使い切ってしまいたい」とか言って、空港の売店でレジ前のガムやポストカードを買ったりなんだりする、というシーンがあった。そのとき!そのとき、私はひっそりとロマンチックな人間になっていたのである。
曰く「○○旅行楽しかったな。また○○に来たい!だからお金を使い切るなんて寂しいのはイヤ。またいつでも来られるように取っておくんだからっ…🥺」と、中途半端なお金をそのまま持ったまま帰国する。
ただの物を捨てられない人間と変わらない。年単位で使わないものをずっと持っておく理由などない。なんなら通貨は持っているうちに見た目や単位が変わっている可能性すらある。
「でも他所の国のお金ってロマンなの。また行きたいの。だからここに入れておくの…」
そう言い続けて幾星霜。
何年かぶりで今月ベトナムに行く予定がある。*1 もしかしてベトナム・ドンが残っているかな、と「ここに入れておく」の場所を見たらまあまあ入っていた。ペラペラと枚数を数え*2金額を換算し*3へそくりを見つけたような気持ちでニヤニヤと旅行用の財布に入れる。
ついでに中をよく見ていると、小銭がちまちまと出てきたので整理することにした。お札と、その土地のSuica的なものと、小銭とを、仕分けてまとめて小さいジップロックに入れて、非常に満足。なんだかんだで30分くらい取り組んでいた。数えたらいま私はこの地域で一番、シンガポール・ドル香港ドルとタイ・バーツの小銭の見分けが速い女かもしれない。
しかし、これらの一番少額のコインなんて、本当に使う機会がないだろう。ICカードも軒並みアプリに代わっているらしい。本当に持っていても無用の長物になってしまいそうな過去の旅の残金。とりあえずベトナムはまだまだ旅行者は現金メインのようだけど。

*1:渡航前にコロナのワクチンをもう一度打ったほうがいいかなぁ、なんて思っていたら罹患した。得したのかなんなのか。

*2:ベトナム・ドンはお札しかない。

*3:ベトナム・ドンは単位が大きい。20万ドン札あたりがおそらくポピュラーで1400円くらいの価値。

どういうこと


人生というか生活が乱れ乱れに乱れているので、なんとか改善しようとしていろんなアプリをダウンロードしてみたりインターネットの記事を読んだりしてみるのですが、良い生活の事例として「朝起きたら日光を浴びて、散歩する習慣をつけるとよいでしょう」って絶対書いてあるんですよ。絶対じゃなくても十中八九書いてあるんですよ。まあ十中八九とは言わず半々くらいで書いてあるんですよ。

 

それで教えてほしいのですが「朝起きたら日光を浴びて、散歩する」って、どういうこと?
なに?
どのように?

わりと真剣にその手順およびタイムラインを教えていただきたく、コメントお待ちしております。

 

(コロナは軽症だったようで、無事に回復しております。)

9月の罪と罰

全然ブログを書かない一ヶ月だった。


主に感情が乱れまくって、会社に行ったり行かなかったりしまくり、とはいえしっかり遊びに行ったりはして、もう辞めるか?転職か?とか思い始め、とはいえやりたい仕事ってあんまり世の中にはないよねぇなどとしみじみしたりして、現実ってやだやだーと床の上でジタバタとゴネていたら、昨日の朝からバーンと熱が出て、コロナについにかかってしまったのだった。


これは、罰が当たったな…と思った。
とりあえず生きてます。みなさま、どうぞどうぞお気をつけて。

 

 

バービーのこと

映画『バービー』やるんだよ!と告知されたときからとてもとても楽しみだった。『君たちはどう生きるか』を観たときも、早くバービーを観たいなぁと思いながら帰った。内容がどんなにスットコドッコイでもよくて、あの世界観を実写でやってくれるのが嬉しいし楽しみだった。

子どもの頃バービーで遊んでいたか?と言われたら全然そんなことはなく、リカちゃんとジェニーでしっかり遊んでいたし、未だにリカちゃんのマクドナルドセットのディテール(鉄板でパティを焼くとジュージュー湯気が出る)が脳裏に蘇って身悶えする。CMで見たティモテが欲しくてお年玉を持って調布のパルコの下に入っていた玩具店で買ったのも覚えている…いや、もしかしたらお誕生日に買ってもらったのかもしれない、そのへんの記憶は曖昧である。
バービーとしっかり出会ったのは20歳を過ぎてからのような気がする。アメリカに短期留学したり、その後玩具を取り扱う会社に勤めて営業先にバービーを納入したりという中で、すっかり憧れの存在になった。バービーが年に1度だけ着るハイメゾンのドレスにおおいに感動したし、あらゆる人種や体型を表現するようにメーカーが努力する様子に拍手した。バービーのきらびやかさ、それを生み出すマテル社のアメリカらしいカッコ良さに、大いなる尊敬の念がある。

 

今回の映画の告知をがあってから、Instagramで関連の投稿をいいねしたりアカウントをどんどんフォローしたりしているうちに、今まで知らなかったバービーの一側面を知った。それはマテル社がバービーをSNS上ではややネタ的に使っているということだ。
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5秒前にポチった商品が発送されてないか見る、とか、新年の抱負はクリスマスツリーを2月までに片付けること、とか。
こういうダサいことあるよね、共感するでしょ、という姿勢なのか? 少し前にバズった「現実を生きるリカちゃん」的なニュアンスを公式がやっている。キラキラ一辺倒では、大人の層が取り込めないからなのだろうか。
バービーは完璧!という売り出し方ではなくて、大人にとってバービーは多少揶揄しても良いもの、ジョークがわかるもの、という姿勢もなんだかアメリカらしい。

 

映画の中でバービーは、完璧にキラキラだった。毎日が最高で毎日が完璧で、あらゆるバービーが楽しく働き遊び誇りを持って生きていた。でもそれは初めだけで、だんだん違った姿にならざるを得ない。

(以下、映画ネタバレあります)

ニコニコしているだけではなくなったバービーの旅は切なかったり愉快だったりでとても人間らしかった。
しかし終盤、ケンに支配されそうになったバービーランドの憲法を維持する方法は、ケンを含んだ全住民ではなく、バービーたちだけで強行採決された。それでいいのか。
バービーたちは何にもできなかったケンに高速で洗脳されていたうえに、多少の説法(しかも本人たちは自覚したことのない内容)で洗脳から解かれていた。それでいいのか。
バービーランドと人間界は割と簡単に行き来できてたけど、それでいいのか。
マテルの社長が持っていたドラムスティックはなんなのか。
バービーはさておきケンたちは今後どうやって生きていくのか。
などなど、気になる点は振り返るといろいろあるのだが、結局は素晴らしいセット、素晴らしい衣装、素晴らしい音楽とダンスと小ネタと、全体としては男女問わずみんなに愛のあるメッセージで、私は大満足した。
「バービーはなんにでもなれる」というメッセージが逆にプレッシャーになる…というくだりは嬉しかった。バービーは2000以上の職業になってきた、とマテル社のウェブサイトには記載があるけれど、世の中には名前がうまくつかない仕事や役割がものすごく沢山ある。その人たちなりに人生やっていることをフォローしてくれている…というのは拡大解釈かもしれないが、そう思わせてくれる懐のある映画だった。

 

観終わってからクララさんとワインを飲んで桃を食べた。f:id:l11alcilco:20230827103621j:image