バービーのこと

映画『バービー』やるんだよ!と告知されたときからとてもとても楽しみだった。『君たちはどう生きるか』を観たときも、早くバービーを観たいなぁと思いながら帰った。内容がどんなにスットコドッコイでもよくて、あの世界観を実写でやってくれるのが嬉しいし楽しみだった。

子どもの頃バービーで遊んでいたか?と言われたら全然そんなことはなく、リカちゃんとジェニーでしっかり遊んでいたし、未だにリカちゃんのマクドナルドセットのディテール(鉄板でパティを焼くとジュージュー湯気が出る)が脳裏に蘇って身悶えする。CMで見たティモテが欲しくてお年玉を持って調布のパルコの下に入っていた玩具店で買ったのも覚えている…いや、もしかしたらお誕生日に買ってもらったのかもしれない、そのへんの記憶は曖昧である。
バービーとしっかり出会ったのは20歳を過ぎてからのような気がする。アメリカに短期留学したり、その後玩具を取り扱う会社に勤めて営業先にバービーを納入したりという中で、すっかり憧れの存在になった。バービーが年に1度だけ着るハイメゾンのドレスにおおいに感動したし、あらゆる人種や体型を表現するようにメーカーが努力する様子に拍手した。バービーのきらびやかさ、それを生み出すマテル社のアメリカらしいカッコ良さに、大いなる尊敬の念がある。

 

今回の映画の告知をがあってから、Instagramで関連の投稿をいいねしたりアカウントをどんどんフォローしたりしているうちに、今まで知らなかったバービーの一側面を知った。それはマテル社がバービーをSNS上ではややネタ的に使っているということだ。
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5秒前にポチった商品が発送されてないか見る、とか、新年の抱負はクリスマスツリーを2月までに片付けること、とか。
こういうダサいことあるよね、共感するでしょ、という姿勢なのか? 少し前にバズった「現実を生きるリカちゃん」的なニュアンスを公式がやっている。キラキラ一辺倒では、大人の層が取り込めないからなのだろうか。
バービーは完璧!という売り出し方ではなくて、大人にとってバービーは多少揶揄しても良いもの、ジョークがわかるもの、という姿勢もなんだかアメリカらしい。

 

映画の中でバービーは、完璧にキラキラだった。毎日が最高で毎日が完璧で、あらゆるバービーが楽しく働き遊び誇りを持って生きていた。でもそれは初めだけで、だんだん違った姿にならざるを得ない。

(以下、映画ネタバレあります)

ニコニコしているだけではなくなったバービーの旅は切なかったり愉快だったりでとても人間らしかった。
しかし終盤、ケンに支配されそうになったバービーランドの憲法を維持する方法は、ケンを含んだ全住民ではなく、バービーたちだけで強行採決された。それでいいのか。
バービーたちは何にもできなかったケンに高速で洗脳されていたうえに、多少の説法(しかも本人たちは自覚したことのない内容)で洗脳から解かれていた。それでいいのか。
バービーランドと人間界は割と簡単に行き来できてたけど、それでいいのか。
マテルの社長が持っていたドラムスティックはなんなのか。
バービーはさておきケンたちは今後どうやって生きていくのか。
などなど、気になる点は振り返るといろいろあるのだが、結局は素晴らしいセット、素晴らしい衣装、素晴らしい音楽とダンスと小ネタと、全体としては男女問わずみんなに愛のあるメッセージで、私は大満足した。
「バービーはなんにでもなれる」というメッセージが逆にプレッシャーになる…というくだりは嬉しかった。バービーは2000以上の職業になってきた、とマテル社のウェブサイトには記載があるけれど、世の中には名前がうまくつかない仕事や役割がものすごく沢山ある。その人たちなりに人生やっていることをフォローしてくれている…というのは拡大解釈かもしれないが、そう思わせてくれる懐のある映画だった。

 

観終わってからクララさんとワインを飲んで桃を食べた。f:id:l11alcilco:20230827103621j:image