無印とピタTのこと

おしゃれな人間に憧れてはいるのですが、憧れているだけなので、自宅の家具の70%が無印良品の商品です。


化粧品も80%が無印。基礎化粧品に限ると98%無印。なので、定期的に無印良品に買い物に行きます。基礎化粧を無印にしているのは、特にこれがすごく使いやすいからとかそういうわけではありません。こだわりがなくて逆に迷ってしまいがちなのでもう無印に決めてしまって、迷うのをやめるということにしたからです。要するにスティーブジョブスのタートルネックジーンズと同じです。大きすぎる喩え。


そんなわけで昨日無印に必要なものを買いに行きました。 T シャツが安くなっていたので「シンプルな無地の T シャツが欲しいとちょうど思っていたのよね」と思って買いました。思う壺。XS サイズです。今時ビッグシルエットが流行っているらしいけれど、羽織るものを合わせて会社に着ていきたいので、ちょうどいい大きさがいいわと思って、特に試着せずXS にしました。
早速今日は T シャツを着て出勤。サイズがピッタリで…というか、90年代で言うところの『ピタT』のような感じになりました。ピタTという言葉はいま生きているのでしょうか。わからないけど、要するにピタっとしているのです。鏡に向かって「結構いい感じじゃないか、オッケーオッケー」と思っていたんですが、仕事をしているうちにだんだん調子が悪くなってきました。肩こり、胃のもたれ。昨日食べ過ぎたのは自覚してるけど、今日はそんなにガリガリ仕事してないのにな、なんでだろう。テンションが低いまま帰宅し、冷凍していた野菜を炒めて食べたりして、ごろごろしていました。なんか疲れたなあ、なんでだろうなあと、モヤモヤ。


お風呂に入ろうと思って服を脱いだ瞬間、答えが出ました。めちゃくちゃ楽になったのです。


つまりピタTがピタすぎて、具合が悪くなったということです。

 

服がキツくて体調不良、生活の基礎の基礎ができていない感じ、自分に驚きます。

 

なるほどピタTのためにも痩せないといけないのだな…と思いつつ、相変わらず痩せるやる気に欠けて、 S か M サイズの T シャツを新たに買いに行こうかな…と、逃げに入っているところです。


f:id:l11alcilco:20190630224728j:imageついでにストッキングも買ったんだけど「世の中のストッキングのパッケージ全部これになればいい…」と感心してしまったので、履き心地が問題なければ今後はストッキングも無印で買うことにしようと決意。

日記(新喜劇のこと、ドラマのことなど)

やっと休みがきた、という感じの土曜日だ。

金曜の夜はうれしくなって二軒はしごで贅沢をして、機嫌よく帰ったら、観ようと思っていた『きのう何食べた?』の最終回がほとんど終わっていた。最後のアドリブ(らしい)シーンを観たけど、なんだかガッカリしてしまった。品のないことを排除している原作が好きだから、謎のギャグを発しているケンジを観たくなかった。これが「原作厨」の姿か…と思って反省している。
ところで終電に乗っている間、彼氏がドラマの内容をLINEで実況してくれたのだが、いい人過ぎないか。なお、わたしは話の内容をほぼ記憶しているため途中からセリフを当てる人になった。こんなにも原作に忠実に再現してくれてありがとうございます。という気持ちがあるからこそ、違う部分が目についてしまう、例えば西島秀俊氏の笑顔とか…ああ、原作厨。

 

土曜は6時ころ自然に目が覚めたが、「あ、休みだ」と気付いて清々しい気持ちで二度寝した。最高の二度寝の方法だなと思った。平日も同じくらいの時間に自然に目は覚めるのだが、「会社に行きたくないなあ」という気持ちで二度寝して(どちらにせよ二度寝する)遅刻するor遅刻寸前に向かってダラダラするので、物理的な状況は同じなのにQOT(Quality of time、今つくった略語)は全然違う。

溜めに溜めた洗濯をしたり掃除をしたりで昼を過ごす。名古屋のテレビでは土曜お昼に吉本新喜劇を放送する。15年前くらいは東京でもやっていて、若い頃の藤井隆が出ていたと思うのだがいつの間にかなくなった(と思う)。名古屋に来て嬉しいことのひとつは新喜劇がテレビで観られることだ。丁寧に丁寧にわかりやすく舞台をやっていて、ベタベタにベタなネタをずっとやっている。ブスとかハゲとか言いまくっていてポリコレ的には完全にアウトなのだけど、このあと新喜劇はどうなっていくのだろう。

 

 

これからレイトショーでアラジンの実写を観る。彼氏は20:40から、池袋の映画館で観る。わたしは20:50から、名古屋駅の映画館で観る。観終わったら感想を述べ合うためのスケジュール。いい人過ぎないか?遠隔で映画もドラマも共有できる。ありがたいことだ。

 


f:id:l11alcilco:20190629202832j:image映画の前に1杯やった、常陸だいだいエール。

お菓子のこと

20歳くらいまで、甘いお菓子はそんなに人生で大事な存在ではなかったと思う。


小さい頃のお気に入りのおやつは小さな梅味のお煎餅だった。調べてみたらまだ売っている!


これこれ。懐かしい。岐阜の会社なのか。

おそらく幼稚園児くらいの段階で生クリームの入ったお菓子を食べたあと気持ち悪くなった経験から、ほぼすべての甘いものを拒絶する子どもに育った。クッキーも、果物も、あんこも。社会性を持って「ちょっと堪えて食べる」という技を身に着けるまでは、あらゆるデザートを遠慮し続けてきた。プールのあとでソフトクリームを食べている同級生を横目にコカ・コーラを頼んだら「クールねえ」とそのお母さんに言われた思い出があるけれど、いや〜クリーム系が苦手なんですよ私、と、そのときは言えなかった、小学生だったから。


転機は大学の頃のアメリカへの短期留学で、「これも経験」と思いながら向こうの甘味をつまみ始めたら味覚が変わった。思うに向こうの甘いものはわりと塩っぱいことが多く「なんか食べられるな?」と思いながら食べ続け、許容範囲を広げてきた。結果、めちゃくちゃ太って帰国した。
そうは言っても基本的なスタンスが「おやつを食べるならご飯を食べたい」で10代を過ごしてきたので、社会人になってもそのまま、ポッキーを買うならそのお金で唐揚げ棒かシーチキンおにぎりを買っていた。


それが30手前くらいから、だんだんお菓子が美味しくなってきた。チョコレートはお酒と一緒でも美味しいことを知り、ケーキもマカロンもコーヒーや紅茶と一緒に楽しめる。そういう素敵な趣味の世界を超えて、甘さが直接脳に効く感じを覚えたような感じがある。誰かのお土産でもらった『博多通りもん』は、以前なら持ち帰って母へ横流ししていたが、「わー嬉しい」と貰ったそばから開封して食べるようになった。


だから太る。
だから太るんだ。


いまの会社に入って、だらだらと残業してしまうことが増え、それに伴いだらだらとお菓子を食べることも増えてしまった。初めは遅くまで仕事をして白目を剥きそうになっている若い人に「何もできませんがせめてこれでも…」という気持ちでカントリーマアムなどを買い込んでは与えていた(それにより多少の地位向上を目論んでもいた)のだけれど、自分でも食べるようになってしまったのだ。なお、地位は上がらなかったが好感度は上がったと信じている。
今日、ひととおりの"エプロン"的業務を済ませたあと机に座って仕事をしていたら、くたびれてきてなにか食べたくなった。誰かの差し入れの『アポロ』と『おっとっと』を、ポリポリポリポリ食べてしまう。どちらも随分長い間食べてなかったけど、なんかとても美味い。
あ〜〜〜〜太る〜〜〜てか太ってる〜〜〜〜
と思いながら食べた。

おっとっとの美味さ、知らなかったな…

 

森永 おっとっと<うすしお味> 52g×10個

森永 おっとっと<うすしお味> 52g×10個

 

 

 

エプロンのこと


基本、内勤だけど、仕事中にエプロンをする。最初の会社で支給されたエプロンだ。

最初にいた業界では、メーカーがそれぞれにエプロンを作って、営業マンに着させていた。 営業マンは基本的にスーツで行動しているので、身分を明らかにしながら服をも汚すことなく存分に仕事がでかる、エプロンはとても便利なアイテムであった。 私の勤め先も、ほとんどの人がメーカーの営業マンと仕事をしたり、または倉庫で仕事をするようなこともあって、全員鞄の中にそれぞれのエプロンが入っていた。

年末の量販店などに行くとエプロンをしたスーツのサラリーマンがうろうろしている。それはみんなメーカーの営業、もしくは応援の社員なのだ。家電売り場で メーカーの社名の入ったベストやらブルゾンやらを着ている、ああいう人達と同じものである。

エプロンがあるととってもいいのだ。 服は汚れない。なんならちょっと手が拭ける。カッターもペンも巻尺もマッキーも、なんならガムテープも全部ポケットに入るし、何かしらのメモも入れておけて、女性の場合ポケットのない服を着ているときには携帯が入れられたりもする。身に着けるバッグという名の、美容師のシザーケースみたいなのが流行ろうとしているみたいだけれど、それはエプロンで済むのだよ君、と言いたい。まあ、お出かけ時にエプロンつけてるとサザエさんみたいで変だけど。


前の会社では エプロンを着ることはなかった。それはつまり荷物を触ったり動かしたりする機会がとても少なくて、それ専門の職種の人たちがいたからやらなくてよかった。今の会社に入ってみたら、「これはエプロンが要るな…?」という場面がたまに出てくるので、積極的にエプロン回帰している。最初の会社のロゴと自分の苗字が入っているエプロンで、ちょっと恥ずかしいけど 便利でやめられない。それに、エプロンがほしくなるような、要はすこし体を使うような場面は個人的には今の仕事の中のハイライトで、楽しんでいるから、よりエプロンで盛り上げたい心があるのだと思う。役に立つかはさておき、やる気は見せたい、扱いづらい中間管理職わたくし。楽しそうな方がいいと信じてにこにこエプロンを着るのだ。


一緒に働いている若い人たちは もちろんエプロンを支給されたことなんてないから、オフィスカジュアルそのままの姿でエプロン的業務をしている。 よくよく考えたら私にはまだエプロンのストックがあるので、 明日「使ってみませんか」と プレゼントするつもりで鞄に入れてみた。どうだろう、 使ってくれるかな。

いろいろなこと

(最終回とかではないです)

今月、もっとブログを書きたかったのだけど、途中から公私ともにいろいろなことがあり、Twitterばかりして全然長い文章を書けなかった。
ほんとうに、生きてるといろいろなことがある。

わたしの母も70年以上生きているのでいろいろなことがもちろんあったようなのだが、「でもみんな新しいことで、勉強になったなー経験になったなーと思うのよね」と以前に話していて、感銘を受けた。
自然にこんなふうに思えないことも多々あるのだけど、すべてのことを「経験」だし「勉強」だし、なんなら「思い出」だと思えば、もう仕方ない。
いろいろなことがあるなー。


その中の1つで楽しかったことが本を作ったことなので、よかったら買ってください。

どこか置かせてもらえるところも探そうかなあ。

経費などのこと

 

今日が終わるのが嫌で、一人で飲んだあとにサイゼリヤに入ってキッズメニューの間違い探しをするとき、わたしの人生は豊かだなあと思う。
6こ見つけた。
どんどん太るのだが、もう全然痩せる気が起きずアクションしていない。太った自分は嫌で、理想体重の自分でいたいのだが、なんのせいだかやけっぱちになっている。バカだなあと思う。
絶対やっちゃだめなのに、スパゲティを2つ食べてしまう。アスパラクリームとたらこソースシシリー風。どのへんがシシリー風なんだろう。

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立ち飲み屋で飲んでいたら、私を挟んで立っていた二人が「いかに自分の上司がだめか」を話し始めたので、相槌を打って楽しんだ。その人たちは別々の会社に勤めているが、それぞれ上司は交際費でめちゃめちゃ遊び回っているらしい。そんな会社がまだあるのか。びっくりした。
以前勤めていたところには、確かに遊び上手でそこから仕事を持ってくる上司がいたが、社名で領収書を切る様子を見たことがなかった。なんであんなに余裕があったのだろう、新卒の給与と重役の給与にどれだけの差があったのだろう。不思議だ。
今の勤め先では営業の人たちと距離があるので、接待費という項目を想像することもなくなった。経費精算するなんて、着払いの郵便を受けたときくらいしかないのだ。レシートに社名を書き込みながら、一緒に勤めている新卒の子たちはきっと、自分ではない別な人に宛名を書き入れてもらう"サラリーマン仕草"を知らずに生きていくんだろうなと思う。

 

先ほどの立ち飲み屋の二人のうちのお一人は、勤めて以来ずっと同じ会社にいて「ここで絶対に出世したい」のだそうだ。そんな人にも初めて会ったので、面白くてにこにこしてしまう。
もちろん「新卒から徐々に出世してきました」という人なら友人にもいて、素晴らしいなと尊敬している。10年勤めて来た人たちは中くらいの裁量と自由を得て、細々したことを誰かに頼んで旅行に行くことができるようになっている。最高である。
わたしなんかすぐ投げ出したくなって、3社目だ。頭が下がるとはまさにこのこと…
と思っていたところに現れた、全く異なる熱量で「ここで出世するんだ」という真面目な意志の人。つい「出世してどうしたいんですか?」と訊いてしまった。
会社の中で偉くなるなんて、つまらなくなる一方じゃないか。自分がアップデートできなければ、若者からは老害としか見られない。共通の敵にされるだけなんじゃないか。
すると相手から明確な答えは返ってこなくて、つらつらいろんなことをお話されたが結果「まあ、金欲しいよね」というわかりやすい内容に収束したのだった。
うん、お金ほしいよね。
2000万。

マジかよって感じはするけどまずは2000万。



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ZINE販売始めました。

 

最近の読書のこと

先日、この短編集を読んだ。

噛みあわない会話と、ある過去について

噛みあわない会話と、ある過去について

 

ひやひやした。というのも、わたしはこの本の中で怒る側ではなく、怒りをぶつけられる側の人間だからだ。自分が良ければいい、表面だけ見て気を遣っているように見せればいい、と思っている人たちに対しての怒りがいっぱいだ。すいませんすいませんと思いながら読んだけど、読んで自分を大きく変えられるかと言えばそうではないので、怒りの視点をお腹の中に入れて、ふと思い出すようにしなくてはなと思っている。
読書は自分の知らない(知るべき)感情を教えてくれるのだなということを、もっと若いうちに知っておきたかった。知らされても読まなかっただろうから、気付いておきたかった。もう少し繊細になれていたかもしれないと思うと、ぐったり来る。


あと、これも読んだ。

羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)

 


詩だな、と思ったし、これがベストセラーになってる我が国、なかなかいけているのでは…と思った。あと、これ映画化したって聞いたけどどうやってるんだろ。モノローグ映画?


いま、これを読んでいる。

橋本治のかけこみ人生相談 (幻冬舎文庫)

橋本治のかけこみ人生相談 (幻冬舎文庫)

 


身につまされることがたくさんあって、溜息をつきながら読んでいる。

 

 

この三冊は全部、母か姉から借りているものだ。
4年くらい前から、母が自宅の周りの奥様方5人くらいの本の交換会に属して、いろいろな本を貸したり借りたりしている。彼女の枕元にある東野圭吾はみんなそのメンバーの方から借りているもので、読み始めると寝られなくなり困るらしい。
その流れで、私や姉が読んだ本が母に貸され、母からその仲間の奥様方に貸されるという事態になった。ついでに姉や母が読んだ本が私にも回ってきて、自分では選ばない本を読めるのでありがたい。


ちなみにいま3人共同で続編を楽しみにしているのは『傘寿まり子』である。

傘寿まり子(9) (KCデラックス)

傘寿まり子(9) (KCデラックス)

 

面白いんだよね…