在宅勤務のこと


金曜日、出勤して帰ってくる道のりで、寒いというより悪寒がしたためとても焦った。
最寄りのドラッグストアで取り急ぎのインスタントフードやらゼリードリンクやらを備蓄で買って、ハラハラしながら帰る。
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いざとなればPCR検査もマツキヨで買えるのだな…なんてことに初めて気付きながら、帰宅して熱を測ると37.1℃。微妙〜!しかし、この微妙さが今は恐ろしい。


翌日は熱は下がっていたけど在宅勤務にさせてもらった。
今までやったことのある在宅勤務は誰もオフィスにいない状態でやるものだったのだが、今回は私以外みんなオフィスにいる。みんながなんらかの動きをしているのだろうな…と想像しながら、こわごわチャットで話しかけたり、電話したり、メールしてみたりする。
すごく…やりづらい!
オフィスにいるときは「今、話しかけていいかな」という間合いを見るのにすごく時間を使っていたことを認識する。なにか考えたり作業したりしている間も、人の様子を見ていたり、話すのを聞くともなしに聞いていたり。そしてその話に割り込んだり。
それがなくなると、なんとまあ、自分のやっている仕事が空虚に見えることか。ああ、本質的なことを何もしていなかったんだなあ、と改めて感じて、しょんぼりしてしまった。
しかも14時くらいでノートパソコンの電源が落ちてしまう(ACアダプターを持ち帰り忘れた)というまさかの不手際があり、ますますドン凹み。初歩の初歩!

その次の日は元気に出勤して楽しく働いた。
本質的なことはせずに、全体的にふわっと誤魔化しながら。

初対面の年上男性に「頭の良い子」みたいに言われたことが30になるまで何度かあったけど、それは本当の意味で賢かったり思慮深かったりするのではなくて、「その場の空気に対応して返事ができるね」ということだろうなと振り返る。
そしてそこから成長がないんだよな。自分の足りなさについて、どこから手を付けていいかわからないまま時間が過ぎていく。

 

 

アメリカと顔のこと (連休のこと 3)


朝からアメリカの大統領就任式の様子をツイッターなどでたくさん見た。
厳かではあるけど、なんだろうかこの祝祭感、パーティ感。これからいいことが起こりますよ!と思わせてくれる華々しさ。こういうところに憧れるよ。レディ・ガガのhumbleながらも輝く女王様っぷりと、ドクター・ジル・バイデンの素晴らしく美しい色のスーツと、カマラ・ハリスの姪っ子ちゃんたちの可愛さに痺れた。 
トランプ以前のアメリカにあった、アメリカが世界をリードして、良い世界に整えてさえやるぞ、みたいな考え方は今や存在できないと思っているけれど、そのへんはどうなんだろう。それどころじゃない昨今ですけども。とにかく、平穏な4年間になるといいなあ。

 

朝兼昼は焼きそばを食べた。
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醤油が切れたのでスーパーに行く。
暇なので化粧をちゃんとして、いつも着ない服を着る。
この半年から1年くらい、平日の化粧が極限まで省力化されており、具体的には「無」と「ファンデーション塗って眉毛描く」の2択になってきているのだけど、そうすると自分の顔を見る時間がかなり減る。朝なんて特に目も開いてないくらいの感じでやっており、夜も歯磨きしながらなんとなく表面についている汚れを落としているレベル。"ご自愛美容"みたいな言葉が産まれて久しいけど、自分を見てないから何が起きてるかもわからなくて、愛せてなかった。
で、久しぶりによくよく見てみると、嗚呼36歳。ケアを怠ってきた36歳、目の周りのシミが夜空の星のようだし、頬の毛穴も白詰草の花畑のようだ。輪郭はスモアで挟む前のマシュマロのようになっている。なるほど、なるほどなあ。すべて、いまはマスクで隠している部分だ。
ほんとはなんかいろいろと?美容液とか?イオン導入とか?スチームとかフェイスマスクとかなんならレーザーとか?やったほうがいいんだろうね?と思いつつ、ビューラーを久しぶりに使ったらまつげが長くなっていた。化粧しないが故に改善された部分はここだけか。基礎を無視した色塗りのような楽しい部分だけやって出かける。
COVID騒動が終わる日を待ってはいるけど、その日までにマスクに隠れた部分の顔をなんとかしておくべきだとはなぁ。美容整形や歯列矯正をやるなら今だという気がするな。

 

スーパーではしめじが安くなっていたので買った。


帰り道、ずーっと行ってなかった、名古屋最愛店(暫定)に誰もお客がいなかったので、これはと思って入ってパッとビールを飲み、お刺身を食べさせてもらう。とても美味しくて、かなしい。美味しい店の生ビールはコンビニで買って家で飲むビールの500倍くらい美味しいので、世界中の酒飲み全員がこのつらさを共有しているのだと思う。愛するお店で飲む愛するビールを失いたくないが、その行動によって人命を失うことは許されない、というかなしみ。
私以外にお客が入ったら、もう密なので、お金を払って店を出る。私以外にお客がたくさんいることもわかったので、支援の気持ちはほどほどで良いことがわかり、ホッとする。リスクを取れる人が取ってくれ、と思う。そしてこれをきっかけに感染したらこの日記は大事な記録になってしまうなぁとも思う。やっぱりしばらく外で飲むのはやめよう。わたしは弱い人間。

 

帰ってきて、顔が持ち上がるらしいと聞いて安い美顔器を衝動買いした。

献血チャレンジのこと(連休のこと 2)


休み2日目。
昨晩遅くまで盛り上がってしまったため、昼近くまで寝ていた。
パンに春菊とチーズとアボカドをはさんで食べる。

掃除して、掃除機の替えのパックが切れていることに気付いて外出。買った。ひと安心。
そういえば近いうちに献血に挑戦しようと思っていたんだったと思って、近隣の献血ルームに行ってみた。
10年くらい前にも行ったのだけど、なんでだかダメで、一緒に行った友人だけが献血する(それを待ってる)というわけのわからない時間を過ごしたんだった。なんでダメだったんだっけな。
受付で、2時間くらいかかります、といわれて、おお…と思うけど、何も予定もないし暇だからいいことにする。わたしの暇で無為な時間が誰かのお役に立つのでしたら…と謙虚な気持ちでココアを飲みながら待っていると、検査用の採血に呼ばれた。
係の人「血管が細いかな〜、どっちの手がいいですかね、ちょっと別な人呼んで診てもらいますね〜」
別な人「う〜〜〜ん(2分)」
わたし「ダメならダメと言ってください」
別な人「いえいえ!じゃぁ右でいきましょう!」
係の人「そしたら左から採血しますね〜機械にかけま〜す」
(2分)
別な人「あ、この人せっかく血管決めたのにダメだわね」
係の人「あらっ。あー、ヘモグロビン値が足りませんね〜!今日はごめんなさいね〜!」
わたし「えっ、こんなに見ていただいたのに…血もとっていただいたのに…すみませんでした…お手間おかけしました…」
しゅん…
無料でココアを飲みに行っただけの人になってしまった。前回は血圧が足りなかったらしい。



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晩ごはんは朝と同じ春菊とアボカドでサラダ。それと、見切りになっていたアンコウを白菜と一緒にオリーブオイルで焼いて食べた。ニンニクを温めておいて、アンコウはムニエルぽく塩コショウと小麦粉をはたいて、白菜は塩だけして、あまり動かさずに焼き付ける感じにしたら美味しい。ビールと、ジンソーダ

同時に塊の豚肉をオーブン焼きにしたが、焼いている間にお腹が空いて冷凍していたご飯を食べてしまった。なかなか炭水化物を排除できない。焼けたのは明日食べよう。
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連休のこと


今日から三連休だ。
わ〜いやっぴー!という気持ちになったほうがいいと思うのだが、そこまで気持ちが踏み切れない。
先日の緊急事態宣言を受けて、休まざるを得なくなっての休みだからだ。
宣言下でなければ、連休イコール旅行だ!くらいの気持ちなのに、どこに行けるわけでなし、不要不急の外出は避けねばならないし、テンションが上がらない。
一方、終日ぐったりしているほど疲れてもいなくて、一週間前に寝込んだ分をここにうまく当てたかったと無意味なことを考える。

とはいえできる限りの娯楽を全部やってやった。
美容院に行って本屋に行ってカレーを食べながらビールを飲んだ。カレーの映えがすごかった。
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栄のパルコの中に入っているカレー屋さん『ANDY CURRY』はいつか行こうと思っていながら機を逸していたので、このタイミングで思い出してよかった。平日夕方のパルコの中は完全に疎で、四人掛けのゆったりした机でのびのびと食べた。あまりにお客さんがいなくて不憫だったので、パクチーと砂肝をトッピングで追加した。カレーはチキンといかのあいがけ。美味しかった。

 

カレーでお腹がかなりいっぱいになったので、歩いて家まで帰った。

 

買ってきた8割おじさんの本を家で読む。

 

2019年の年末、武漢に未知のウイルスがあるらしい…というところから始まって、怒涛の1月、2月、3月を過ごした感染症の専門家たち。来る日も来る日もデータを取り、考え続け、懸案と対策を表明し続けて、政治家や官僚と折衝し続けて、、読んでいるだけで息が苦しくなる仕事の量だ。
専門家が場所や立場を超えて連携していく姿は美しいし、この危機に対して真摯に誠実に取り組んでくれている人たちがいることに安心したり、頭が下がったり。
物語として消費してはいけないと思いつつも、「面白くてぐんぐん読んでしまう」ように作られている本だと思う。シン・ゴジラのあの対策室が現実にある感じ。西浦さんも、尾身さんも、素晴らしい職業人だ。
ハァハァと読み終わったら夜中の2時になっていた。
本は2020年7月頃で時間が止まっている。まだ、1日の感染者数が3桁だった頃。その後から現状を見ると、この人たちの半年間の頑張りは何だったんだろうかと思う。というか、まだ今も頑張ってる。終わっていない、このなんとも言えぬ徒労感。自分の無力さに呆けたまま寝た。

 

歯のことなど


歯磨きがきらいだ。
物心ついた頃には嫌だったし、36歳になっても嫌だ。心の中で「歯磨くぞー!!!!」くらい思って強い気持ちで歯磨きしている。つまり強い気持ちが出せないとき(酔ってるとか)は疎かである。
しかし中学生の頃に歯の矯正をしてもらったおかげで歯が4本少ない。そのため歯を大事にしないといけない、さもないと老後つらいのではいう気持ちが強い。
そのうえ痛みや身体的不快感にとても弱く、自分では全然ちゃんとしないことを他人に託したい欲求が尋常でないため、歯医者には行く。
歯医者に行く前日は焦って歯をよくよく磨く。

 

去年の4月頃、歯医者を予約していたけど、緊急事態宣言が出た中で歯石のクリーニングはまさに不要不急かなと思ってキャンセルした。
またも緊急事態宣言が出そうな昨日今日だけれど、どうも歯が痛い日が続いたので予約して出掛けた。歯を噛みしめる癖があって痛くなることがあるのだが、「噛みしめ続けると歯が割れることがあるよ」と怖いことを言われて最高にビビったのだった。

この他人の飛沫への恐怖あふれる日々、衛生士さんがわたしの口の中をめちゃくちゃ見てくれて、きれいにしてくれて、「この人、すごいな…」と思いながら施術を受けた。一体どんな使命感をお持ちなんだろうか。尊敬した。
結局のところ虫歯もなかったし、歯も割れていなかったのでホッとした。フッ素を塗ってもらって、フロスを頑張るように言われた。噛み締めないために、舌を上顎につけておくと良いというコツも教えてもらえた。やる。

 

帰り道、女子ぽさのあるカフェぽい店でランチをした。
ちょうどお昼休みの時間帯で、近隣にお勤めの女子のみなさんが机を囲み、お喋りしながらランチしていた。まあ、当たり前の様子なのだけど、なんだかあっけにとられてしまった。
自分の勤め先は、学校の教室みたいに全員前向きにセッティングされた机でご飯を食べている。みんないるのに黙々とぼっち飯。
その光景とこのカフェの対比。
勤め先の若い人たちのことが可哀相になってしまった。まあ、彼ら彼女らもお休みの日は楽しくお友達とカフェに行ったりしているかもしれないから、いいんだけど。でも、出勤日のランチが楽しいほうがもっといいに決まっている。
いつまでこれが続くんだろう。そしてこの嫉妬のような憤りのような感情を自分はいつまで持っているんだろう。
なんかいろいろ無理だ。

 


無理だなーと思ったのでいちごのケーキを買って帰って食べた。おいしかった。f:id:l11alcilco:20210106231724j:image

年末年始のこと

 

年末年始は31日と1日に連休をとって、どこにも行かずに食べたり飲んだり漫才番組見たりしてダラダラした。
帰省の自粛が叫ばれる中でこんなことは果たしてどうなのかと思いかなり逡巡したのだけど、結果として恋人が名古屋に来てくれて一緒に年越しをした。
紅白歌合戦を見ながらセブンイレブンの『金のハンバーグ』を食べてワインを飲んだ。あとホットプレート(ペヤング専用*1 )で牡蠣とほうれん草のバター焼きをした。美味しかった。

 

紅白が終わって、ゆく年くる年の鐘がなる中「今年はどうでしたか」とお互いにインタビューした。私はまあまあ飲んでいたせいか、喋るにつれドロドロと涙が出てしまった。
直近の数週間が虚無だったせいで、2020年が全部そのオーラに包まれて見えている。楽しいこともあったはずなのに、靄がかって何も見えないような。仕事は目の前のことをこなすだけで精一杯で考える余裕がなく、私生活では友人に会う機会が減り*2飲みにも行かなくなって、コミュニケーションから来る新鮮な空気がない。美術や音楽にもほとんど触れなかった。息継ぎが下手なクロールをずっとしている感じ。そのおかげでどんどん卑屈になり、嫉妬と諦念でぐちゃぐちゃの心のままコンビニのご飯を食べていた。自分の汚い感情をたくさん見た。
その流れでこの貴重な年末年始がただの2連休だとしか感じられず、年が明けることによるリフレッシュ効果は自分できっちりと区切らないと生まれないのに「どうせ新年も自分は同じ」と思う気持ちによって遮られていた。新年の抱負は何も言いたくなかった、できないから。

 

元日は朝から生ウニを炊きたてのご飯に乗せて食べて喜んだ。
暇潰しに自分で煮たこんにゃくを食べたり、自分で揚げた春巻きを食べたりすると気分が良くなったようだった。やっぱり自分で作ったものを食べることは心身の健康に大切だとよくわかった。また一緒に食べて共感してもらえる人も有難いことだった。

 

今日は午後から仕事に行って、元気になった。
元気になった勢いでまたコンビニのまぜそばを食べてしまい、昨日得た教訓が全く生きていないのだった。

今年もよろしくお願いいたします。

 


f:id:l11alcilco:20210102204143j:imageせめて花だけ常に飾れたらな。

 

*1:温度の調節つまみがない。プレートを外せないので水洗いできない。初めて使ったら結構すごかった。ペヤングはまだ焼いてない。

*2:12月は会った人0人だった。人によると思うけどとてもつらいので、わたしにはリモートワークは無理だと悟った。

身につまされる小説『ハグとナガラ』のこと


クリスマスだ。
母からスワッグを、姉から暖まりグッズをもらってうれしい。感謝感謝。
この一週間は自分で立てたスケジュールのせいで連勤してしまい、さらに悔しい失敗も重なってぐったりとしていたが、今朝はプレゼントの配達のおかげでスッと起きることができた。
そのままの流れでセーター類のクリーニングを全部出しに出かけて、母からの荷物に入っていた文庫本を喫茶店で読む。

ハグとナガラ (文春文庫 は 40-5)

ハグとナガラ (文春文庫 は 40-5)

  • 作者:原田 マハ
  • 発売日: 2020/10/07
  • メディア: 文庫
 

自分の心情にかなさる部分がたくさんあって涙が出てしまった。

三十歳から五十五歳までの間に、仕事と親の心配をしながら合間合間に旅行をする女性ふたりの物語だ。実家から離れて十年、二十年、自分のために生きてきて、お互い付かず離れずの連絡をしながら、たまの旅行で会って喋って発散して。そうこうしているうちに、片方の親が倒れる。片方は仕事を干され、片方は忙しくなる。もう片方の親が認知症になる…そんなあれこれで生き方を変えることを余儀なくされる中、変わりながらも続く二人の旅。


わざわざこの本を送ってきた母は、わたしに何かメッセージがあるのだろうかと勘繰ってしまう。
わたしはこの1年、仕事とコロナウイルスを言い訳にして実家をずっと蔑ろにしてきた。それを後ろ暗く思っているから、「早く帰ってきなさいよ」と言っているように読めてしまう。
それに、いざ母親に介護が必要になったときに自分はどうするかという、ずーっと先延ばしにしている課題も目の前に持って来られたような気分になった。まあ、これは、そのとき考えるしかないと思っているからいいんだけど。

また、友人関係も「以前からのお友達を大事にしなさいよ」と指摘されているように感じてしまう。これも同じく、今年1年ずっと会わずに過ごしてきた友人のことを思うと消極的な気持ちになるからなのだ。大概みんなインターネットで繋がっているから、なんとなく様子はわかるし、それだけで関係を維持できれば有難いことなんだけど、そうもいかないとわかっている。
この物語の中でも主人公は「相手(女友達)と住む世界が違う」状況に気付いて苦しむ。同世代だとしても生きているステージが変わるタイミングはそれぞれだから、かつては気が合うと思っていたのにズレてくるのだ。
もう全部やめてしまいたいような気持ちになったり、しがみつきたいような気持ちになったり、つながり続けることは難しいと日々のあちこちで思っているのが、お話として目に見えるようにされてしまったから胸が苦しくなった。

物語の最後は原田マハらしい優しいハッピーエンドだった。
現実の二十年後の自分はどんな生活をしているんだろうかと、呆然としてしまう。今この瞬間、ひとりでいることが正しい選択なのか、家族友人恋人との距離はこれでいいのか、わからない。