日記のこと

 

夏頃に古賀さん日記の本『祖母は死ぬのかもしれない』『どこか母の模倣だな』と、おしこまんさんの『Osicomagazine vol.2 日記から始める』を買い、読んだ。お二人のブログのファンだから、「出します」という記事を読んで二つ返事で(?)買ったし、楽しく読んだ。

ここから買えます。


どちらにも「他人の日記を読むのが面白くて、自分も日記を書いている」といったことが書いてあって、強く共感した。わたしは大学の頃にWeb日記を狂ったように書いていたのだけど、途中からTwitterにかまけ、日記書いていなかった。2年くらい前に「やっぱりブログは面白い。長い文章が面白い。」と思って、再開した。

 

だれかのブログ、というか、日記が、その日あったことが書いてあるだけで面白いのはなんでだろうと思う。他人の日々なんてどうでもよくないか?とも思う。
でも実は(わたしは)そんなこと全然なくて、「ああ、みんな生きているし、喜怒哀楽しているんだな」ということを、文字を通して確認したい。確認することで、表現されてる気持ちに共感したり驚いたり感心したりできる。なんなら知らない感情を教えてもらえる。
それを通して、みんなが生きていることを愛しくさえ思える。思えるような気がする。
さもないと、通勤電車でドアの前に立ちっぱなしの人とかを「おいお前なにしとんねん」という気持ちで責め立ててしまう。いや〜、実はその人にもいろいろあるんだよねー、まぁドアの前は譲ってほしいけど、というところを忘れてしまう。現実のみんながそれぞれに生きていることを忘れてしまう。想像力がないから、常にインプットが要るのだ。

10年くらい前のTwitterってそういう良さ、つまり、「タイムラインのみんなが生きてて、学校とか会社行ってお昼食べて帰ってきてお風呂入って寝るって言ってまだ寝ない」みたいなものを感じる良さがあったと思う。だから、10年前からフォローしあっている人たちは殆ど会ったことがあるような気がする。(当時はクラスタみたいなのが少なくてオフ会も多かったので実際に会ってる人たちも多かったと思う)

 

昨日おしこまんさんと会った。それこそ会ったことがありそうでないから、「いや〜初めまして〜アハハ」となり、日記の本の話と、日記の話と、この昔のTwitterは良かった的な話もして、なんだか整理された気持ちになった。便利情報を書くブログに興味がなくて(便利に使わせてもらってはいるけど)、身の回りのことを書いている日記が好きなのは、こういうことだな、とわかった。

でも、わたしはあんまり日にちで区切った日記を書いていない。自信がないからだ。こんだけ書いた上で、「自分が今日あったことを書いて誰が面白いと思うんだろう」と思ってしまって、なんかこんな中途半端なブログを書いている。
でも日記はやっぱり面白いよね。もっと日記なのか記事なのかわからないけど、書こう。


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引越しの本のこと

引越しが一段落してホッとしている。

いろいろ捨てたつもりだったがまだ全然荷物があるのがとても残念だ。引越屋の"単身パック"に断られ、当日のサポートに来てくれた母にも「やっぱり一人暮らしにしたら荷物多いわね〜」と素直な感想を頂戴し、改めて沁みた。わたしは荷物の多い女なのだ。

特に問題は本で、抱きしめてSpark joy(Spark joyはコンマリ氏の"ときめき"を英訳したキーフレーズ)でないとしても、聖書のように置いておかなくてはいけない義務感のある本、再読の可能性がある知識系の本、もうこの特集あり得ないだろうな〜という雑誌、もうやらないだろう展示の図録など、捨てられない。
歯を食いしばって捨てたり、実家方面に転送してみたりしても「こんなにか〜」と言いたくなるボリューム感。現状、段ボール7箱分。
この本たちだけまだ開梱していない。もしかしたら開けながら整理できるかもしれないんじゃないかと思っている。
でも、「あ〜これもう捨てようかな〜」と思った新書をちょっと読み直したら、買った当初よりも面白く感じてしまったのでまた困った。必要なときに買って読めばいいんだから、と思って捨てた本も、もしかして今読んだらもっと身に迫って来ていたのかもしれない。おいそれと捨てたり売ったりしていいのか…たらればに引っ張られて煩悶する。とはいえ新しく読みたい本もあり、いま本屋に行きたくてたまらない。でもあの7箱が…と思ってまだ行っていない。でも行きたい。

 

ところで『抱きしめてSpark Joy』は語呂が良いので、コンマリ先生にはこの曲でCDを出していただきたい。大昔のプロ野球選手がレコードを出していたノリで。
これが言いたいだけのブログでした。

 

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

 
人生がときめく魔法の片づけノート

人生がときめく魔法の片づけノート

 

 

コンマリと紐のこと

とある事情で引越しすることにした。ただ困ったのは、引越しを決め、いまの部屋の解約通知をしたあとで、その事情を鑑みなくて良くなってしまったことだ。
今の部屋は広く清潔で暑くもなく寒くもなく、追い焚き機能のあるお風呂があって、私の一人暮らし経験のなかでも最良の物件だったので、名残惜しい気持ちになっている。このままでよかったのに、事情め…!
とは思うが新居は新居で楽しみだ。追い焚きもなくなり、コンロがガスでなく電熱になるのが不安だが(特に後者、けっこう不安だ)。


そこで、ネトフリでコンマリを観て片付けの気持ちを高めている。
アメリカ人が苦しみながら片付けをしていて共感するので、気持ちは高まるが自分の片付けはあまり進捗しない。「わたしが着ている服はPracticalなだけで、Spark joyじゃない、でも持っているSpark joyな服はサイズ的にもオケージョン的にも着られない」という女性の様子に釘付けだ。誰か(コンマリ)が片付けてくれるわけではなく、自分で苦しんで片付けをするというのも現実的で良い。

先日のハイヒール廃棄もこの片付けの一環だったのだが、コンマリをずっと観ていたら、2000円で買い取ってもらったうちの2足くらいはSpark joyだった気がして、悲しくなる。
お店で一瞬、ウッ、と思ったのに、「もう決めたんだから二言はない」としてしまったことを悔やむ。わりと人生でそういうシーンが多い。よく考えることを覚えたい。


この7年ほどで5回目の引越しだ。
実家の引越しにも参加しているので足し算すると7回目。ばかなのかと思う。あそこにベンツがありますね、という感じだ(さすがにベンツを買えるほど費用はかかっていない、中古の軽くらいは買える)。
移動が好きなのか?好きなのだ。賃貸の更新料を払ったことがない。そろそろ落ち着きたい気もする。でも新しい街に住むのは楽しい。旅のような気でいるのかもしれない。
これだけ引越しを繰り返しているから、荷物も少なく身軽。と言いたいところだが全くそうでない。各地で積層されるモノ、本を含む紙、服を含む布。無尽蔵だ。

梱包も慣れない。これを箱に詰めるって、どうしたらいいんだっけ。どこまで詰めたら良いんだっけ?いつまで何を使うんだっけ。
いちばん苦手なのは紐だ。紙類をしばる紐。どういう仕組みでしばったらいいかいつもわからなくて、積み上がった紙の周りで右往左往してしまう。

今朝が古紙回収の最終日だと昨日の深夜に気が付いて、突然コンマリがわたしに憑依した。どんどん積み上がる雑誌と、なぜか大量のクリアファイルに挟まった過去の紙たち。
ある程度溜まったら、紐を持って右往左往。YouTubeで紐の掛け方の動画を観る。わかった気になってかけ始めるのだが1ステップ目から2ステップ目に行けない。あ、これ最初から紐切っておくのかな?と思って切っておいたら短い。本当のコンマリならこんなことないはずなのに。
3束作って、やっと慣れたところで作業終了。2時半。次に紙に紐をかけるときも、またYouTubeを観るんだろうなと思いながら寝た。


いまとてもねむい。

 

 

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

 

 

ヒールのこと

 

ピンヒールははかない

ピンヒールははかない

 

この本はこの一年以内に読んで良かったなあと思う本の1つ。
その内容はさておき、私もすっかりヒールのある靴を履かなくなってしまった。

小学生の頃"アムラー"だったので、厚底ブーツを履いていた。そのあとも歩く練習の要らない厚底にお世話になり続け、大学に入ってヒールをたまに履くようになった。足に合っていて、よく練習すれば履けるなと思って、新卒で入った会社の展示会は6cmくらいのヒールで立った記憶がある。
その後二度転職して、「やっぱりちゃんとしたいときはヒールありだな」と思って低め太めのヒールのある靴を買っては履いていた。
が、昨年の春頃、足の指を骨折するという中途半端な怪我をしてしまい、つま先に力をかけるのが怖くなって、低いヒールからも遠のいてしまった。
いまは毎日ぺたんこの靴でペタペタ歩いている。こういうスタイルが許される世間にいるし、フラットシューズは流行でもあるようなので、助かる。


私の父は娘の低身長が気になって仕方なかったのか、20歳過ぎて以降のお誕生日だなんだには、デパートに行って10cmくらいあるヒールの靴を買ってくれた。(わたしの身長は154cmである。)
それが、試着するときには、良い靴だから、履きやすく感じるのだが、いざ歩き回ろうとすると無理がある。
10cmもあるヒールで1日快適に過ごすには、移動をすべてタクシーでこなすか、足腰の筋肉を鍛えて耐えられるようになるかの2択。1つめの選択肢を常に選べるほどリッチでもないし、2つめの選択肢も普段机の前にただ座っているだけの私には荷が重い。
要は、全然、履かないのだ。
20代後半には「誰かの結婚式」が毎月怒涛のようにあり、そのときに買ってもらった素敵すぎるハイヒールを履いていたものの、いまや誰も身の回りで結婚しない。勤め先の若者が結婚したら、上司として呼ばれるかもしれないが、いまどきの若者は上司をパーティーには呼ばないだろう。それに、そんな機会があれば着物で行けばいい。

そう思って、ついに10足以上あったハイヒールたちを今日、捨てた。正確に言うと近所のリサイクルショップに持って行って買ってもらった。
2000円だった。

おー、2000円ですか。おそらく、買ったときの100分の1か、1000分の1か、その間の結果。
ちょっと、買ってくれた人のことを思って、ドキドキしたけど、そのまま売った。押入れに仕舞いっぱなしにしながら、いつ履くんだろう、いつか履かなきゃなと思っていたプレッシャーから、解放されたような気がする。


美味しいビールでも飲みに行こうかな。

 

うまく飲めなかったこと

今週は業務でいろいろなことがあり、余裕がなかった。

余裕がないもののピークは水曜日に去り、その打上げをしたい気持ちだったのだが、私以外の誰もピークが去った気持ちになっていないようだったのでひとりでこっそり帰宅した。
帰り道に冷凍のピザをコンビニで買って、家のオーブンを久々に稼働させ焼いて食べた。ピザは美味しかった。トップバリュ。ビールと共に。
打上げをしたい気持ちは隠していると打上げができないということに気が付いたので、次回似たような案件があったら前々から皆に投げかけておこうと思った。「終わったら絶対飲みに行きましょうね。19時に上がりましょうね。」って、言う練習をしておこう。

木曜日は水曜までの疲労で、机に座っていたけれど生産性がなかった。数日のあいだ対応しきれなかった至急でないメールたちに「承知しました。ご連絡ありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします。」のお返事を書いたり、床に散らばった荷物を積んだりしていた。

金曜は公式に朝寝坊してから出勤したので元気に働いた。木曜に「むりだ」と思っていた、考えないと返事ができないことも返事ができた。
ひと安心して、明日は休みなので、飲酒しに出た。
静かなところで最近買った本を読みながらお酒を飲んだら良いな、と電車に乗りながら計画した。名古屋駅近くの某バーに、諸事情あってウイスキーが私の名前でキープされているので、それを飲んだらゆっくりできる。それがいいそれがいいと脳内で賛同の声が上がる。満場一致だったが、お腹も空いていたのでとりあえずと思ってうどんを食べた。
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うどんを食べ終わって22時半、バーの営業時間を確認したら、23時閉店であった。
あー…。
完全にイメージが出来上がっていたので、そこ以外のお店に入る気にもならず、駅の周りでうろうろうろうろしてしまう。
もう、家でいいか。
家で飲むことを多少素敵にしたいときの頼みの綱である成城石井ももう閉まっている。ならばえいや、と最寄りのコンビニからわざわざ逆方向に向かってセブンイレブンに行く。どうしていいかわからなくなって1500円分もカップ麺を買ってしまった。
帰宅して、どうしたものかなと思いながらブログを書いている。


うどんが美味しくてよかった。

 

サーフィンのこと


運動はからきしダメだけれど、小さい頃からスイミングスクールに通わせてもらったおかげで泳ぐことだけはなんとかなる。速かったり上手かったりはしないけど、なんとかなる。お風呂は嫌いだけど水中で遊ぶのは好き。お風呂と同じくらいプールに行くまでに逡巡してしまうのは、たぶん着替えが嫌いだからだと思う。

 

水中が好きなので川も海も楽しい。

 

高校を卒業して、海の近そうな名前の大学に合格した。 これはと思って、家族に「大学ではサーフィンをやります」と言ったら、もともとサーフィンをやっていた兄が喜んでラッシュガードをプレゼントしてくれた。
わーいと喜んで入学してみたら、海は全然遠かったし、一応あったサーフィンサークルの活動にもついていけなさそうで、尻込みして見学にも行かないままやめてしまった。ラッシュガードは仕舞ったまま。GREEmixiと"メッセ"に明け暮れるめちゃめちゃインドアな大学生活を過ごしてしまった。在学中、最寄りの海に行ったのは一度だけだった。


サーフィンとか登山とかカヤックとか、自然のなかで楽しむスポーツに憧れる。彼らは朝早い。健康的。ピースフル。仲間。笑顔。ハワイ。完全にイメージだけど、昼夜逆転しながらずっとTwitterを見ている暮らしより圧倒的に陽のエネルギーがある。眩しい眩しい体力の輝き。


そんなことを思ったり忘れたりしているうちに10年以上経ち、名古屋に引越してきた。
半年くらい経ったところで、仕事でとあるサーフブランドの方とお会いした。電話でのアポのあとサッと現れた彼は柄シャツにキャップをかぶりハーフパンツでにこにこと、商品のお話しをしてくださった。カタログには想像した通りのサーファーの素敵な姿。
それで「あ、サーフィンしたいんだった!」とやっと思い出した。

繁忙を乗り越えた8月末、意を決してスクールの申込みをした。
したのだが、寝坊して、名古屋駅に7時という集合時刻に間に合わず、キャンセル。
あーあ…と思っているうちに夏は終わり、ボーっとしているうちに1年経ってしまった。


数日前、美容室に行ったら久しぶりに会った美容師さんが日焼けしていた。近況報告しながら「なんかちょっと印象変わりましたね?」と訊いたら「わたし最近サーフィンしてるんですよ。先月じつはハワイにも行って…」とのこと。
なんということだ、こんなところにサーフィンしている人が…!しかもうまくなるためにダイエットと筋トレまでやっているらしい。
内心ドキドキしながら「えっ、良いですね、サーフィンやってみたいんですよ」と軽く伝えたら、「女性のプロサーファーがインストラクターでほぼマンツーマンで教えてくれてめっちゃ良いんですよ!楽しいですよ〜!やりましょうよ〜!」と、関係ないのに怒涛の営業トーク。あれこれ教えてくれた最後に「朝のコースと午後のコースがあるんですよ。午後のコースなら昼前におうち出れば大丈夫ですよ」

昼からのコース…!

「行きたいです、その人教えてください!」
というわけで教えてもらって即予約して、今日が記念すべき人生初サーフィン!!!

 

 

という予定だったのだが、天候悪く波も悪いそうで、先生からわざわざ連絡があり、キャンセルに。洋服の下に水着を着たまま、名古屋の街をうろうろする。

いつから始められるのかなー、サーフィン。


f:id:l11alcilco:20190828134737j:image(最近撮ったいちばん海っぽい写真)

バランスと老後のこと

会社員になって11年、会社に行って働くことが癒やしになることもあるんだなとやっと気が付いた。

私たちの親世代の方々が、会社が大好きで地震が起きても絶対に会社に行きたくて、その分家庭を顧みない人になっていった訳がなんだか今更になってわかるのだ。
会社にいれば何を期待されてるかわかるし、やれるならやればいいし、やっているうちに時間は過ぎていく。承認されて、お金ももらえるし、話を聞いてくれる人もいる。
家庭で明文化されない期待(や不満)にやきもきするより、見える化された期待に応えれば済むというのはラクなのかもしれない。
ただし、期待されたことをやれないとしんどいし、認められないのもしんどいし、話も聞いてもらえないとしんどい。およそ8時間の勤務時間ずっとそんなだととてもしんどい。お金はたぶんもらえるけど。
でもそれこそ高度成長していた頃は、きっとわかりやすく世の中良くなっていき、自分もそれに参加している感もあり、働くことや所属していることが今よりもっと気持ち良かったのだろう。そんなこんなのうちに会社員であることにどっぷり浸っていく。そんな人にワークライフバランス!とか言っても、ワークが気持ちいいんだもんね、気持ちいいところから出るのはつらいもんね、と思う。
そういう人たちに定年が来て退職して、今まで仕事と通勤にあてていた一日のおよそ半分を自由に使えるようになると、どうなるのだろう。蕎麦を打ったり野菜を育てたりスポーツしたりいろいろあると思うけど、会社大好きだった人たちは、きっと会社に行きたいだろうなあと思う。それが趣味がないくらい仕事が楽しかった人たちの「末路」と言うには、なんだかかわいそう。
老人ホームで入居者の方々が、歌を歌ったり俳句を作ったり、ともすれば工作したりしている様子を見ていると、なんかもっとプロジェクトないのかなぁと思ってしまう。今の時期から15年か20年くらいは、まだまだ仕事人間の人たちがそういう場所に入って行くだろう。そのとき絶望しないようにするにはどうしたらいいのかなと思う。
20年くらい経てば、趣味があったり、ワークライフバランスのある人たちが老人になっていくだろうから、それぞれに趣味を満喫していただければよいかと勝手に思っている。
(実情は正直全然知らない。主に想像で書きました。)


わたしは最近、仕事をしているときが一番元気かもしれない。朝は全然起きられないし、大概夕方には元気は切れてしまうのだけど、うまくスイッチが入っているときはニコニコしていると思う。前の会社にいるときより、今の会社のほうが全然ニコニコしている気がする。ニコニコすべき場面が多いせいもあるのだと思うけど、大変化だ。
休みの日に一人でごろごろしたり出掛けたりしても、こんなに頻繁にニコニコしていない。
ああ、このままいくと、会社大好きの人たちと同じになってしまう。まずい。危ない。
ずっと遊んでいたいし全然働きたくない、旅行に行きたいところもめちゃくちゃあるし読みたい本や観たい映画も大盛りだ。
それを無理矢理にでも実施して「あー趣味は楽しいな」と自分に思わせないと、働いて疲れているくせに、会社や仕事が持っている別なタイプの癒しの力に負けそうになる。怖い。不安だ。

というのを書いておいて、来月くらいに会社辞めてたら面白いのだけど、たぶんまだ辞めない。