身の丈と親のこと

この増田がとてもよかった。 
とてもよいがゆえに、しんどさがある。
私は彼と逆の道を来た。全部親に出してもらって、あらゆる贅沢の結果としていま会社員として働いている。
奨学金やらスカラシップやらに挑戦しなかったことも悔いているが、なにより、あんなにもこんなにも支援があったのに、大学でなにを学問していたのか全然説明できない。それこそ学問することはわたしの身の丈に合わなかったのではないかと未だに思う。学問しないならもっとアルバイトでもすれば良かったのに、それもしなかった。遊び呆けていたといえばそうかもしれない。そのせいか、ずっとずっと世の中のことがわかっていないような気持ちがある。
あんなに支援されたのに、なんにもわからないで生きてる、ということだ。

 


気が付けば両親は後期高齢者になっている。小さい頃、60歳くらいで2人は死んでしまうと思っていたから、こんなに長く生きるとはなぁと思ってしまう。たまにお目にかかる2人は明らかに老いた。明らかに老いた親を見ながら「こんなに長く生きるとはなぁ」と呟くと、地続きのように「いつ死ぬんだろう」という言葉が喉元まで来て、止まる。
ついこの前まで、あんなにもこんなにも支援されていたのに?もうそんなこと言うの?これでは杉田水脈と変わらない、生産性のない人はいらない理論じゃないか。驚いて、困ってしまう。想像していたより野蛮な自分に落ち込む。

 

落ち込んで泣いていても仕方ない。もっと、親の余生(?)を一緒に楽しんだり支えたりする気持ちの自分がどこかにいるはずだ。
ということで、親の誕生日プレゼントにエンディングノートを贈ってしまった。今までの歴史をメモしてくれ。親戚の詳細をメモしてくれ。倒れたらどうしたいかもメモしてくれ。ロマンのない娘で申し訳ないが、なにをともあれ実務だ。それがいまのわたしの折合いの付け所なのだ。

 

自分史年表+エンディングノート 令和版

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本屋で「終わるという字の方の終活の本ってどのへんですかね」って店員さんに訊いたの、結構エグかった。