phaさんて人、いるな、とずっと思っていた。何者にもならないぞみたいな人だよな、シェアハウスの人…だよな、と。
本をいくつも出されているけど、ちょっと立ち読みするくらいで実はちゃんと読んだことがなかった。なぜかというともう存在が羨ましくて仕方なかったからだと思う。定職につかず、インターネットでなにかすることによってどうやらお金を得ているらしくて、日本のインターネットのまんなかの楽しいあたりにいるっぽいな、この人は。そしてそれで食っていけている。全然平気ですよって言っている。そんなの羨ましくて、もう憧れることもできないから、本を読むのもなんだか気が進まなかった。もっと正直に言うと、憧れる人の本は読んで自分の中になんらか取り込みたいと思うけど、どうしても「なんだよそれ、ずるいよ」みたいな気持ちが前に出て、ページが進まなかった。
しかしこの度出された本は、タイトルを見ただけで絶対買おうと思った。
『パーティーが終わって、中年が始まる』
絶対読みたくて、日本のAmazonで事前予約して買って実家に届けてもらって、S氏がマレーシアに遊びに来るときに実家から引き取ってもらってきた。
これは絶対にわたしが今思ってることが書いてある、と思って開く。
そして読んだら、本当に8割くらい「それわたしが今思ってることです」といった内容で、かなしいくらいだ。8割は言いすぎた、6割5分くらい。いや、7割くらい。それが、「わたしもそう思ってる!共感できてうれしい!言語化してくれてありがとうスッキリするわ〜!」ということでは一切なくて、感情としてはさみしくてくやしいしかなしいけど、私たちは今こういう状況にいますよね、という静かなものだ。つらい。読んでいると私はブログに何も書く必要がないと思うくらい、同じことを思っているときがある。
知らなかったけど、7つ年上なんだ、phaさんは。46歳。わたしは39歳。
最終的にphaさんはこの本の中で去っていく若さを見送りつつ「このまま逃げ切りたい」と書いている。でももう、逃げ切るという姿でもない。もう、ここに座って過ごそうと思うんだ、みたいな様子が見える。逃げると言ってもどこにも走っていこうとしていない。それが切ない。でも、わかる。とにかく、疲れちゃう。ここには自分一人しかいないのに、誰の面倒も見ずなんの責任を負ってもいないのに、座り込んでしまう。それがかなしい。
phaさんはもう腹を決めたようにも見える。でも私はまだ腹が決まらない。これが7歳の差かな。どんなふうに生きていこうか、まだこんなに決められずにいるなんて、20歳の頃は想像もしていなかった。でももう決められなくても、こうとしか生きられないというのも少しだけ見えている。そこに対して、どうもまだモゾモゾしてしまう。腹が決まらない。諦めがつかない。実はまだなんとかなるんじゃないかと思ってしまう。なんとかってなんだよ、て話だけど。
このひんやりした、でもキーンと冷えてるわけでもない温度の文章に、参りましたと頭を下げている。頭を下げながら、自分のお腹を見ている感じがする。