疲れたこと


しんどいことが多くて、疲れた6月だった。
仕事でだ。
なんでか知らんが*1朝7時に出勤して22時に帰るみたいなことが起きるものの、それに対処する体力があるはずもなく、かつ、非常にフラストレーションの溜まる出来事がぼんぼん起きて、ほとほと参った。
一方で、今月は森道市場に遊びに来た東京の友人たちと1年以上ぶりに会って喋ることもできた(森道市場は行けなかったけど)し、名古屋に嫁に来た友人とも1年以上ぶりに会えたし、行くのを我慢していた近所の好きな飲み屋にもついに行って……要はコロナのために自粛してきたことを、一旦もういいや…と諦めたような1ヶ月でもあった。


今日は休みで、一日中寝てしまうこともできたのだけど、それはいかんと立ち上がって出かけることができた。
行きたいと思っていた鷲尾友公氏の個展が今日で最終日だったので、すべり込みで観に行った。
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作家本人が在廊していて、絵を直していた(最終日なのに)。
作品はどれも素敵だったのだけど、一番大きな絵はその仕事の量と完璧さに圧倒されて、ずっと見てしまった。
提供している価値*2と、その裏にあるものが通じていると、スッと気持ちに入ってくるよな、と思う。
だけど、世の中のアレコレも自分の勤め先のドレコレも、そこがちぐはぐな感じがしている。ひとりひとりの思いとか気持ちを無視して物事が進んでいる感じ。物事が進むには、誰かがそれを動かしているのだけど、その誰かが別な誰かを無視している。楽しい・嬉しいを提供したい気持ちがあるのに、その裏にしんどさがあるのは、その無視のせいではないか。そしてそれはどうも、違う気がしているのだが、何もできておらず歯がゆい。
そんなことを作品を見ながら考えてしまった。


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展示会場の近くのカフェでホットサンドを食べたらとっても美味しかった。カフェラテも最高。

r.gnavi.co.jp

 

*1:知っている

*2:この言い方が正しいかはわからない