自分でやるしかないこと


本当はもっと悲しんだりつらく思ったりすべきことを、そうでもないですよというフリをしたままずっといるような気持ちがしている。
でもその中身が自分でもわからない。
思い当たることがいっぱいあるから、それが全部そうなのかもしれない。それぞれに対して、もっと悲しんだり泣いたりしたほうがいいのかもしれない。でもそれをやっていたら普通に生活することができない。ほかに取組むべきことに囲まれている気がしているから。それに、そのひとつひとつにちゃんと取組むのがとても面倒だから。

 

年が明けてから話をした友人が、バラバラに話したのに二人とも、同じことを言っていた。「今年は日々のことをもっとちゃんと振り返って記録しておきたい」「そうすることを経て自分を変えたい」と。
そうだな、と思う。
こんなブログを書いていたりツイッターで何万件も投稿したりしていても、自分の中では「日々の振り返り」ではない。
その日その日のことを書くブログは自信がなくて書けない。せめて自分が書いていて面白いと思うものを書いていたい(これはさておき)。でももしかしたら真剣にやれば誰かが読んでも面白いのかもしれない。ただし仕事のことは秘密もたくさんあるので書けない。そして今の日々はほとんど仕事で構成されている…
紙の日記帳をまた書くべきだろうか。ツイッターとブログ2つと紙の日記帳を全部やっていた時期も、思い起こせばある。朝書くノートというのもやっていたときがあったのだけど、そのときは気付きたくなかった自分の気持ちにハマってしまってすごく落ち込んだので避けたい。程よい塩梅の日報を残すにはどうしたらいいのか。


「自分を変えたい」と誰かに言えることが羨ましい。自分の変わらなさを諦めているから。でも、わたしを自分を変えたいなあ。もっとオープンになりたい。どうやったらなれるのかがわからないから、また本でも読んでみるかなあ…

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