降りたことのない駅のこと

名古屋に引越して1年が無事に過ぎ、2月はドバイの余波もあってぐったりしていた。

1年経ったら大体この土地のことも詳しくなっているだろうと思っていたのだけれど、実は定番の観光地に全然行っておらず、名古屋人がよく言う「名古屋って見るものない、行くとこない」という文句が全く響いて来ない。
地下鉄の路線図を見ると市内はとてもシンプルなのに、降りたことのない駅ばかりだし、県内には読み方のわからない地名がまだまだある。思っていたよりも名古屋は広いし、愛知県はもっともっと広かった。

考えてみれば30年以上住んでいた東京だって、降りたことのない駅はまだまだある。浅草に住んでいたからと言ってスカイツリーに登ったことはなかったし、渋い店を開拓して通ったりしたわけでもなかった。ずっとそこに住んでいるつもりでいると、街もずっとそこにあると思い込んで、そういう態度になるのかもしれない。
一方、名古屋にいるのはなんとなく期間限定な気がしていて、焦ってどこもかしこも行っておきたくなる。都市であればそこに文化がない筈がなく、わたしにはその文化を浴びたい欲がある。で、わたしの言う文化とは90%飲食店のことである。

すこしまえに、「降りたことのない駅」でありかつ面白そうな街である覚王山駅で下車してうろうろした。「名古屋の代官山」だとか、もしくは「〜の下北沢」だとか、「〜の高円寺」だとか異名の多いその駅に降りたら、まずは洒落たスーパーやらスタバやらが駅前に待ち構えていて、一瞬で住みたくなってしまった。なるほど代官山か、と思って奥に進むと確かに下北沢でもあるな、という感じがした。道道にかわいい雑貨店なんかもあって心躍り、いいなぁいいなぁこんなところに住めたなら、と思ってうろうろしたが、追って名古屋育ちの友人に「あそこは名古屋でも一番家賃が高い」と教えられてしゅん、と黙ってしまった。

いま住んでいるところは勤め先にも近いのだが人気がないので家賃も安い。経済的に見ると非の打ち所がない。家の近くのうどんチェーンの脇に寂れたそば屋があって、一度勇気を出して入ってみると、近隣の男女が大声で飲み交わしていて、座った席の背中からカサカサと生き物らしき嫌な音がしたことなんかは、住むこととは関係がないと言えばない。大声で飲み交わせる場所がある、ということだけでそこに文化があるはずと思うことにする。わたしがそこに近づくかはさておいて、そう思うことにする。
f:id:l11alcilco:20190303201802j:image(そこで食べた蕎麦)

これからの1年でどれくらい降りたことのない駅で降りられるかなあと思う。どんどん降りたいところだけれど早速昨日はまた覚王山の同じ店に行ってしまった。とても素敵だから。好きだったところに通いたい気持ちと、新しいところを開拓したい気持ちは、いつも拮抗するので困る。