パッのこと


嬉しいことにまた休み。鍼に行って肩凝りをとってもらった。iPadで絵や文字を描くのは楽しいのだが目と肩にめちゃくちゃ来る。マンガ家の人とかどうやって生きてるんだろうと思う。

体の調子を見られるにつれ日頃の生活習慣が良くないのがいつも通り全部バレて、鍼医の先生からお小言をいただく。早寝と健康的な食生活を説かれる。辛いものとか食べてるでしょ、と言われて、はい、昨日の夜はハイボールを一気飲みしながら汁なし担々麺を食べました、とは言えなかったが、はいとだけ返事した。
肩こりだけのつもりで行ったのに、そういえば胃も腸も決して好調ではなかったことに気が付いて、鍼を打たれたところから「疲れ」の液体がドロドロ流れて出るような気持ちになった。「まだ若いからいいけど、このままにしとくと危ないよ」って、そんなの脅迫だ。やめてほしい。

コロナ禍で、当たり前のことの大切さや小さな幸せに気付いた…みたいな話もよく聞くけれど、それよりも少しだけ規模の大きいハレの感覚が足りなくて、満たされなさがある。そこを、オンラインコンサートを観てみたり、Clubhouseで喋ってみたり、豚肉を煮てみたりストロングゼロを飲んでみたりUberEatsなりなんなり…で埋めているのが昨今の世の中のように思う。シェアハウスに住んでいたとき住人が「なんかパッとしたいなー」とよく言っていたけど、まさにその感じが今になってよくわかる。いま、強く求められる「パッ」。
 
で、その「パッ」がわたしの場合、酒を飲んだりしつこいものを食べたりするという、刺激物を体に入れる行為に繋がっているのだけど、それを継続すると体の調子が悪くなるというのは大問題である。長生きするといろいろと大変そうだから避けたいなぁと常々思ってはいるのだけど、それまでの間に苦しむのは嫌だ。大病しているわけではないし、世の中みんなが「毎日めちゃくちゃ健康だぜ〜!」って思ってないことも知っている。酒を飲んでも食べすぎても、翌日だるいのをわかっている。でもそれ以外の「パッ」がどうも身近に見つからない。年齢と体力と頭で求めることが、釣り合っていないのがよくわかる。塩梅をどうするか問われる年頃なのだ。


漢方を飲みながら酒を飲んだらプラマイゼロにならないでしょうか、なんて絶対に訊けないけど、ちょっとそう思いながら漢方を買って帰った。