エンパシーのこと


ずっと課題図書として通勤カバンに入れて、毎日2ページずつくらいしか進んでいなかった本『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を読むことができた。入院パワー。

 

 

エンパシーは、日本語では共感と訳されることが多いけど、それだけでは賄えないもの。
エンパシーには種類があって、中でもコグニティブ・エンパシーと呼ばれる「誰かの立場に立って、その思いや考えを想像する能力」がいま求められてるのではないか、そして、それは意外と独立独歩の考え方であるアナーキズムに繋がってるのではないか…という話でした。
「わかる〜」って自然に湧き上がる同情(シンパシー)や「大変ね」と声を掛けるような親切行動ではなくて、相手の立場に立って考えるコグニティブ・エンパシーは鍛える必要がある/鍛えられる"能力"であるというところが肝のようだ。

作家が『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』のブレイディみかこ氏なので、同じようなエッセイをイメージして買って読んだのだが、読み口はもっとしっかりした"思想の本"だった。(それゆえ読み慣れず時間がかかってしまった。)

印象に残ったのは、サッチャーにはエンパシーが皆無だった、だからエグい政策をバンバン打てたって話と、エンパシーを発揮するのは精神的負荷だからやりたがらない人が多いって話。
エンパシーは私の中で「ちゃんと愛を出す」みたいなこととすごく近いなって読んでいて思ったのだけど、それってすごく体力が要る。その体力がないんだよ〜〜〜とクヨクヨしていたら、ちょっとした実験でさえもエンパシーを使うときはしんどくてやりづらいという人がいるという記載があって少しホッとした。でも、だからこそ、考え方も体力も気持ちも"能力"として鍛える必要があるんだろうな。がんばらねば……


そのあと、お見舞に来てくれた家族から読みたかった『心はどこへ消えた?』を借りて読んだ。以前読んだ『いるのはつらいよ』の著者の新しい本。


こちらは味付けが読みやすく、半日でガーッと一気読みしてしまった。
この本は序文で「今、必要なのはエピソードだ。小さすぎる物語だ。」と言っていて、それはエンパシーのトレーニングのための1つのツールになると私は思う。
この人は臨床心理士でカウンセラーだから、お仕事で会ったいろいろな困難を持った人たちとのエピソード*1を本の中で見せてくれる。いろいろな思いが、話している間に流れ出てきて、もう話し切ったかな…と思った最後の底にあるものが大きな本当の課題だったりする。カウンセラーはまさに"他社の靴を履く"仕事だろう、本の中の一説はそれを下記のように表現していた。

そのとき、私たちはイライラマンを外から観察しているのではない。イライラマンの世界を内側から一緒に見ている。彼の生きてきた「わかってくれない」物語を共に体験しているのだ。

これこそ、エンパシー。
わたしはカウンセラーではないから、たとえば何時間も心を込めてチームメンバーの話を聞き、内側から一緒に見つめ続けることは正直できないと思う。でもやっぱり1 on 1の時間を確保しなくても、「最近どう」的な会話で話を聞かないといけないなとしみじみ感じた。

いま私の業務時間はほんとうに途切れ途切れになっていて、あらゆることをヒラッと撫でてはあっちへ動かしたりこっちへ動かしたりしているだけなのだ。
ことの本質に全然触れないまま時間が過ぎていく。本当の課題に辿り着かないままなのだ。
それでもなんのかんので給料は出るサラリーマンだからいいっちゃいいのだが、それでいいのかなといつも思っている。
そういう話を会社に戻ったらみんなとしなくちゃなと思いつつ、心身の体力を保つべく踏み台昇降に勤しむ日々だった。*2

 

 

 

*1:もちろんホントのエピソードは個人情報だから、フィクション化したもの

*2:ずっと点滴しっぱなしなのでろくに運動ができなくて、とりあえず階段で踏み台昇降するのが最適解だと思ってちょっとやってた。