日記(鼻、本、仕事、ジャッジのこと)

水、木と連休して東京と伊香保で遊び、金曜は出来る限りの力を振り絞って働いて、土曜はお休み。
金曜深夜までペヤング旅のブログを書いて、ハッピの欲しさを再度思い出したりして興奮していたら、昼まで寝てしまった。


今日こそペヤングの超超超ギガマックス(賞味期限切れ)を食べるタイミングなのでは?と思っていたのだけど、それより鼻炎の薬が切れるほうが死活問題なので焦って土曜午前だけの耳鼻科に駆け込んだ。すると私の受付番号は160番で、明らかに午前では収まりきらない数の人間を受付していて恐れ入る。
お天気もよく花粉の感じは相当なもので、きっと全国の耳鼻科がこんな感じで今日はフィーバーしていることだろう。医院の皆さんも疲れを通り越したテンションだった。先生の目がピクピクと痙攣していて心配になった。休んでほしいけど私の鼻も見てほしいジレンマ。私はすぐ会社を休むのだけど先生はいつ休んでいるのだろう。


そのあとビールを飲みに行き本を読んだ。読んだり読まなかったりして時間がかかってしまったけど、やっと読み終わって、いますごく影響を受けている。とりあえずレジ袋をもらわずに生きるようにしている。めちゃめちゃ小粒な実践。(あと読んでる人はわかると思うけど文体も。)

My Little New York Times

My Little New York Times

 

 


何かをつくる人への憧れが永遠に取り去れない。アートでも、商品でも、本でも店でも食べ物でも、なんでもそうだ。それは趣味でも仕事でも、「やっている」ことを心底尊敬する。自分だってやっといま何か作りつつあるのだけど(仕事で)、都度都度発生する挫折に耐えるのがたいへんだ。作っている人たちはこの挫折に負けずにより良いものを作ろうとしている。すごいことだよな。私はいらないものをわざわざ作っているという気持ちから抜けられない。ペヤングのハッピや水着も、私のような信者からしたら欲しいけど、普通に伊香保温泉に来た人からしたらいらないだろう。もっと全世界的に且つ極端に見たら、まあ、いらないものだろう。
それが文化なのだけど。
一分刻みで誰かの鼻を覗いては必要な判断をしている耳鼻科の先生からしたら「そんなくだらないもの作って仕事になるなんて幸せだね」という感想が出てもおかしくないのではないか。
そう言うのなら、自分で人の生死に関わるような仕事…医者は無理でも水道局にでも転職したらいいとは思うのだが、そんな根性はどこにもないのだった。
自分が誰かをジャッジしている分、誰かにジャッジされるのも恐れているよな、と最近すごく思う。それが自分を後向きにする。後ろを向いている場合では全然ないのだけど。f:id:l11alcilco:20190309195135j:image(佐久間さんからサインをいただいた)