アートブックフェアのこと


るるるるん(id:lulululunlulululun)のクララさんと、みなとまちアートブックフェアに行ってきた。
会場になっているポットラックビルという場所は、楽しいマーケットをやったりアートイベントをやったりしている素敵なところがあるんだなぁと、わりと越してきてすぐから知っていたのだけど、初めて出かけた。そんなことばっかり。


そもそもこのブックフェアに「出品者として出ないか」と、クララさんに声をかけてもらったのだ。それは名案!!と思って応募したけど落ちた。二人とも。そのあと出品者のリストを見たらめちゃくちゃちゃんと"アートブック"だったので、たしかに私のzineは全然アート力(りょく)不足だなと思った。
あ、そんなわたくしのzineはここから買えますのでぜひ。
るるるるんさんの本はいろんな本屋さんで買えますので各自お近くでお求めください(通販してくれる本屋さんもあるよ)。

 

で、最高気温37℃のとろけそうな本日、行ってみたらまあ魅力的な本が目白押しで困ってしまった。
15時集合してからみっちり2時間、二人でほとんど会話せずに会場のに設置されている見本を眺め続けた。欲しい本をメモし始めたら8冊9冊となってきて、やめるものを決めるのに迷ってまた会場をぐるぐるした。
二人とも結局3冊ずつ買って、移動して金山のベトナム料理屋さんで見せ合う。このムーブ、良い。
クララさんの選書は3冊ともめちゃ良い本で「わたしは何も見えていなかったのでは…」となる。自分の選んだ3冊は「なんでここでこれ買ったの?」みたいな、わりとどこでも買えそうなラインナップになったことに気付き、ますますちょっと凹む。でもいま読みたいと思ったものを買いました…
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  • erikaintheisland『Life with flowers.』

かわいい切り絵集。ちょっとしたものを送るときのカードとして使いたくて…実用。

同名のドキュメンタリー映画を監督した方の、その記録のような感じの本。

  • NEUTRAL COLORS『大人になって見る行きたい学校の夢』

これほんとどこでも買えるし前買おうか迷ってやめたよねっていう…でも最近なにか勉強したい気持ちが高まっていて、いま、読みたくなってしまいました…

 

その他ほしかった本は以下のとおり

  • 中島あかね『Float』
Float

Float

Amazon

目に気持ち良いドローイング集でした。こういう絵が描けたらなぁ、という。

  • 阿部航太『PAISAGEM DAS CIDADES 都市の風景』

印刷の感じと、写真を漫画形式にしている感じと、どっちも面白かった。やっぱりこれ買えばよかった。

  • 小野博『世界は小さな祝祭であふれている』

写真家の方のエッセイと日記集。アムステルダムに住んでいるというところが気になって…

  • 『世界をきちんとあじわうための本』

この本、初めてON READINGに行ったときから読みたいけど結局ほかの本が欲しくなって買わないというのを繰り返してる…世界をきちんとあじわってない認識がずっとあるんです。



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そのあとはクララさんがカップ焼きそばの塩味をアレンジして食べているという話を聞いて心底嬉しくなったり(同族のため*2 )、日記を本にする作業を始めたらめちゃくちゃ面倒みたいな話を聞いてもらったり。
日記作業は横書きを縦書きに直しているので数字やアルファベットをこまごま調整するのが手間*3 なのと、縦書きにすると全然読み心地が変わるので"てにおは"を直したり括弧書きを直したりが想像より面倒で「これが…編集か…」と思ったりしている。クララさんに「横書きでもいいんじゃない」と言ってもらったので横書きにしちゃおっかしら…迷う。なんにせよ今日いろんな人が作っている本を見て少しまたやる気が出たので、コツコツやります。


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良い休日でした。




 

 

 

*1:ポットラックビルにはフリーペーパーやフライヤーがいっぱいあってそれも楽しかったです。2階でやってた展示も素敵でした。

*2:ただしお腹の都合でお休み中…わたしがカップ焼きそばを再開するのはいつになるのでしょうか

*3:これも正しいツールを使えば正規表現とやらで解決するらしいのだが…

7月のこと


7月は前半にたくさん働きました。
たくさん働いたのでたくさん遊ぶぞこのやろう、と思ってたくさん遊びもしました。
そしたら後半にしわ寄せが来てまたたくさん働くことになりました。
結果として8月1日はエネルギーがゼロになって欠勤しました。

 

7月に遊びに行ったのは、リニア鉄道館と、岐阜と、一瞬だけ東京と、名古屋。

 

リニア鉄道館はわりと近所なうえにお友達が勤めているのに行ったことがなくて、不義理…と思っていたらついにその人が異動でいなくなってしまうというので慌てて出かけた。特に電車が好きというわけではない私にも大変良く響く、すごくカッコいい博物館だった。デザインの良いものがバーンバーンと並んでいるだけで心躍るね。実車だけでなく精巧なジオラマで電車が走るのを見られたり、シュミレータで運転体験ができたり、新幹線を動かしている人たちの秘密を勉強できたりと、自由研究にもってこいである。スジャータの例のアイスや駅弁も売っていて中で食べられるのもアツい。あと、めちゃくちゃ涼しかったので夏のレジャーに最適。
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2時間しかいなかったのにめちゃお土産買った。

 

岐阜は岐阜市立図書館"メディアコスモス"の見学と、周辺をぶらぶらしに行った。岐阜駅の周りは素敵なアーケード商店街がずーっと連なっていて、古い建物を再利用したお店も多くて面白い。飲食店も楽しそうなところがたくさんあって住みたくなってしまった。メディアコスモスは噂に聞いていた以上に広々と居心地のよい空間で、図書館としても素晴らしいしコミュニティスペースとしても機能しているようで、ここに毎週通うような人生は素敵だ。本を買っては積んで暮らしているけど、そういえば今住んでいる場所の最寄りの図書館はどこなのだろう。と言いながら結局行きたかった古本屋『徒然舎』で爆買して帰ってきた。
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シルクスクリーンの印刷も初めてやった。

 

東京には4時間くらいだけ行った。選挙の在外投票の申込みがうまくできなかったため、里帰り投票。次こそは名古屋で投票したい…ってあと何年も選挙ないんでしたっけ。帰りに外食した。
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名古屋は…名古屋に住んでるんだけど、友人夫婦が二泊三日で遊びに来てくれるというので、喜び勇んでガイドして、すっかり一緒に堪能した。
コンパルのホットドッグを初めて食べたんだけど、ケチャップもマスタードもなく、炒め千切りキャベツがぎっしりとパンに挟まれている驚きのプレゼンテーションだった。もちろん美味しい。このメニューはコンパルの影のスターなのでは…と、出逢えた喜びを噛み締めた。
f:id:l11alcilco:20220802205800j:imageこの、恰好良いキャベツ-ソーセージ比を見てよ。

 

コロナウィルスの感染が今までで1番「すぐそこまで来てる」感じがするけど、なるべく8月も頑張って遊びたいと思います。心を込めて石鹸で手を洗います。

 

 

読む読まない読めないのこと


なにをかというと空気をです。

わたしはここまで結構空気を読んで生きてきたな〜と思う。頭は良くないし教養もないので読んだ空気が合ってないこともしばしばで、特にイケてる同世代の空気は全然読めてないことが多い気がするけど、立場が上のなにかとか強いなにかの空気は読んで、迎合して、流れに乗って生きてきたように思う。まあ要は気に入られるようにというか。
最近は読みすぎずぶっ込んでいくスタイルも取れるようになってきたが、それにはそれなりの体力が必要で、まだまだ努力が必要。とにかく会議中に何も言わずにあとからぶーたれる人にはならないようにしたい、でも会議中には思い付かなかったりするのよね。脳内の準備と瞬発力が問われるわけですね。

 

というようなことを考えたのは、先日TOUTEN BOOKSTOREで行われた『違国日記』の読書会がきっかけで。
主人公の高校生・朝は、素直ゆえにずけずけと粒度の粗い発言をする。もう一人の主人公・槙生は、その発言を流さずにひとつひとつ拾って返す。朝この感じはいいところでもあるのだけどイラッともするよね、槙生さんは偉いけど生きづらそうだよね、というような話を会に参加したみんなでした。二人とも、お互い空気を読まないのだ。
空気なんて読まなくていいよと、物語の中の人やSNSの中の誰かに対しては思うのだけど、現実の世界ではなかなかまだそうなっていない。一人の方が「大きい会社では空気を読むことが強く求められて、とてもつらかった」と話していて、我が身を振り返ったのだった。

空気を読む気のある人たちばかりで構成された空間では、空気を読み合うのが「甘え」の発生源であるように思う。
これは優しい漫画だよねと感想を言う人もいたけど、私にとっては全然優しくない、結構厳しい漫画なのだ。なぜなら「甘え」がほとんどないから。朝はいろいろな場面で苦しむが、槙生はそれを甘やかさない。適当な言葉で誤魔化さない。
「あなたとわたしが別の人間だから/あなたがわたしの息苦しさを理解しないのと同じようにわたしもあなたのさみしさは理解できない」という一節。
泣いても「わかるよ」とは言わない。むしろ「わからないよ」と言う。甘やかさない。でも、側にいる、二人の関係。


わたしは自分にも他人にも甘くいたい。ラクしたい。甘やかされたいし甘やかしたい。でもそれには限度があると、この数年でやっとわかってきた。自分と人は違う生き物でお互いに理解なんて出来ないし、人と付き合うのにラクなんてできないという前提をやっとやっと受け入れつつある。空気なんて読んでる場合じゃない。だって言わないとわからない。
でもでも、お互いに空気を読み合ってダラダラしたいなあ。言わないでもわかってほしい。ツーカーの関係、山と言えば川、阿吽の呼吸が気持ち良い。そうでない現実世界でちゃんと生きるのは大変だ。

 

憧れのキャラクターは森本千世さんだけど、一番共感できるキャラクターはえみりのお母さんの楢美知子さんかもしれないなと読み直して思う。子どもいないけど…

 

 

電話の通じぬ3日間のこと


auKDDIの回線が死んだ2022年7月2日。
我が社の通信手段も死にました。

携帯電話の回線以外にも通信手段がいろいろとあったので全社的にはなんとかやりくりしたものの、まあやりづらかった。
わたしは1日の業務の大半をメールと電話に費やしておりまして、数えてみたら7月1日は37回も電話していた。それがなくなるので一大事。
朝は「わ、ほんとにかからない」「かけてみてー」「かからないねー」などとほのぼのしていたのだが、いざ仕事が盛り上がってくると「これあの人に…あー電話できないんだった」とガッカリしたり、TeamsやらLINEやらの通話機能を使ってみては「もしもーし!もしもーし!きこえない…」とイライラしたりで実際の"妨げ感"を大いに味わった。
「電話のなかった時代は一体どうしていたんだろう…」「飛脚が欲しい」などとふんわりしたことを口々に言い合ったかと思えば、「ヤマト運輸au使ってるらしいよ!」と誰かがニュースを持ってきて「かわいそう!ヤマトさんが1番の被害者だ!」「きっと電話だけじゃなく配送状況通知のアレコレとかも絡んでるんだろうね〜」と嘆き合ったり。
ヒマなのか。いや実際すこしヒマだったかもしれない、電話がかかってこないから。

 

電話が使えない、ということの影響なのかなんなのか、わたしはその日、社用の携帯電話を会社に忘れて家に帰ってきてしまった。WiFiのおかげで「iPhoneを探す」の機能はバッチリ使えた。
ああ、明日休みなのに。
携帯取りに行かないとな。
でも、明日も電話が使えないかもしれないな。
いつ復旧するのかな。
思いながら寝た。

起きたら9時を過ぎており、ああもう少しだけ寝て午後から行こう、と思って寝て起きたら14時45分だった。諦めて布団の上から15時の会議に出た。WiFiのおかげでリモート会議もできた。

 

更に翌日。朝のニュースでは「復旧したよ」と言っていたけれど、通じぬ電話。だんだん電話のかけられない/かかってこない日常に慣れて、静かでいいわねぇなどと思い始める。取引先にも「しばらく電話できませんので」などと書き添えてメールする。さらに会議会議で疲れ果て、電話のことも忘れかけた夕方、突然の着信音が…!
「わ!電話鳴った!!」
大喜びである。
周りの人も振り返る。
電話してきた取引先にも「わ〜!○○さんが復旧第一号ですよ〜!」と大歓迎で出る。
嬉しくて、いや話したいことが溜まっていて、そのまま別な人に替わるほどだった。話せるって便利だね〜、良かったね〜と、またひと盛り上がり。

 

社会人になりたての頃なんか、電話を取りたくなくて出勤したくないと思ったものだったけど、十数年経ってこの変わりようである*1。個人毎に携帯電話を持たされるようになり、かつてのように「3コール以内に出て相手を把握して誰かに転送する」「誰かの代わりに用件を聞く」という恐怖のイベントがなくなって、よっぽど気楽になったのは大きいが、こんなにか。
Slackやらなにやら*2の世界にいる人たちからしたら、「電話だなんてなんと下世話な」「他人の時間を奪う悪の所業」「集中力を切断する妖怪の手」と思われているのだろうけど、「いま聞かないと」「いま言っとかないと」「いま答えを知りたい」で走り回っている下等な我々にとっては、電話はやっぱり大事な命綱なのだとしみじみ痛感した。

今日もまだ「わ、鳴った!」と思いながら13回電話した。
ちょっと減った。

 

 


auの人たち復旧ありがとう、お疲れさまでした!)

 

 

 

*1:ただし今も全然出勤したくはない、電話がどうなろうとそこは変わらない。

*2:やったことないのです…すらっく…憧れる…

キラキラのこと


速すぎる梅雨明けの水曜休み。スケジュールがキラキラすぎてちょっと面白かったので聞いてください。


朝起きて、エアリアルヨガに。背中が伸びて気持ち良い☆
終わってからヘルシーなランチをして、カフェでノマドワークして。ちょっとご褒美にプリンを食べちゃった☆
夕方から映画を観て、夜はお友達とディナー!プライベートも仕事も忙しいんだよね☆

雑誌かな。

 

エアリアルヨガは眠すぎて鼻水と涙たれまくりだし、ランチは勢い付けのための寿司(梅)だし、仕事は全然終わらなくて映画(トップガン)遅刻するし、ディナーは立ち飲み屋なので、全然いつも通りです。

 

リアルのこと

6月1日の河口湖への旅行は「リアル味わい月間」の始まりだった。


星のや富士に泊まって、あらゆる物の準備に感心しきった。アメニティしかり、紙類しかり、食べ物しかり、すべてがこの空間を代弁していた。
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でもなんというか、星野リゾートたるもの(もしくはリゾートホテルたるもの)、こういうクオリティだろうなという想像の中にあったので、そこまで大きな衝撃はなかった。


それよりも胸に響いたのはほうとう屋「ほうとう不動」だった。 古くて大きなお屋敷を改装して作ってあるお店で、半分は小上がりの座敷になっている。歴史あるお店のようで、立派にどっしりしていながら、架空の"田舎のおばあちゃん家"みたいな懐かしさもある。でも、全く雑然とはしていないのだ。高い高い天井の梁からはライトが下ろされて、そこにはきっちりロゴが入っている。ほうとうの鍋を置くための鍋敷きも、お箸も、きっちりとロゴ。
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お水を注ぐためのヤカンは、いわゆるよくある金色のヤカンがそれぞれの机に置かれるのだけど、無造作ではなくそれが適して見える。大きな木のおたまのようなお匙も同様。ここは、めちゃくちゃちゃんとデザインされているな…と慄きながらほうとうを食べたのだった(おいしかった)。 調べたら2010年にいろいろと手を入れたようだった。素晴らしい仕事だな。 https://sun-ad.co.jp/works/houtou-fudou

 

そして6月17-18日は東京に帰り、初日はおもちゃショーへ行き、二日目はgommのピクニックがあった。

おもちゃショーは4年ぶり。古巣への挨拶が50%、最近の情勢把握が50%の気持ちで行ったが、情勢は「すみっコぐらしが無双状態」ということがわかったくらいで、あとは4年前と大して変わらないように感じた。ヒットした版権に乗り遅れないことがなによりも大切な業界。いつまでやるか、その見極めがつらいのだ。
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(写真は本文とは全然関係ないショコラウサギ様とのツーショ)

面白かったのは2大メーカーの人の入れ方の差であった。B社は例年通りのブース作りで、例年通り変なところで人が滞留し、両サイドからマイクとBGMで音がするから何を聞いたらいいかわからない状態になる、よく言えばお祭り感がある。T社はブースの前に行列を作らせて中に入れる人数を管理していた。中は割と静かで、人数が少ないから一つ一つのものをじっくり見ようという気にさせる。行列があるから外からは賑わって見え、中はゆったりという、理想的な見せ方のように感じた。

 

gommのピクニックはわれわれが価値提供者なのだが、とりあえずリアルに寄り集まって青空と緑の下で喋るという状況が大変久しぶりであるため、それだけで価値が出てしまったように感じる。リアルピクニックは3年ぶりなのだ。
いやしかしご用意いただいたプリンはとても美味しかったし、ア・ラ・モードを作る体験も楽しかったし、はじめましての方もお久しぶりの方もみんなで和やかにお話されている様子がすごく沁みたし、「プリントTでプリンとティー」という素晴らしいダジャレのお陰でみんなの素敵なTシャツも見られて良かった。結果、開催したことは良かった。
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ここでオンラインは所詮オンラインなのだということをつくづく感じた。結局いろいろな人が一つところに集まって話すとき、話題は分散していくものなのだ。オンラインでは何百人もがその場にいたとしても結局1つの話題しか共有できない。授業なんかはそれでいいけど、やはりレクリエーションとしては不足なのだ。10人が1つの話をしているときもあれば、その中の2人と3人と4人に分かれて話しているときもあるのがリアル。残りの一人はお茶を飲んでボーッとしている。やっぱりそれが良い。

 

最後に小沢健二のコンサート。
これもまたすごい場の作り方ではあった、衣装の効果がとても強かった、が、うーん、もう眠いので前回のpostに譲る。

 

そういった今月浴びたリアルの諸々を、頭の中に置いて仕事をすると痺れるものがあるのだ。適当にごまかしてばかりの、小手先対応は何も産まないとしみじみ感じる。ちゃんとしたものを、こだわったものを、愛情をかけないといけない。しかし愛情には体力が要り、この急激に暑くなる最中、まったくもってそのマインドに体力が追い付かない日々なのであった。

 

 

 

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オザケンを見た(5年ぶり3度目)


2020年に発売された小沢健二のアルバム全国ツアー、名古屋公演のチケットをtwitter経由で譲ってもらった時点ではもうすでにコロナ禍がスタートしていて、すぐに公演の延期が発表された。そのときはまだ半年もすればなんとかなるかなと楽観しつつも、毎日家にいてどうなるかわからない世界を眺めていたのだった。
1年後再度公演は延期され、その間に配信で新曲が出され、『泣いちゃう』に泣いちゃうなどしていた。

泣いちゃう

泣いちゃう


そしてやっとやっと、今日がコンサートの当日となったわけだ。会社を早退けして(しかも朝はチケットを家に忘れて戻って遅刻してひどい)、走ってセンチュリーホールに向かった。開演時間ぎりぎり、初めて行く場所。

名古屋で聴く小沢健二には「この人はこんなにも東京を歌っていたのか」という衝撃があった。
語りにも東京の土地が、通りが、川が。東京以外に住む人の小沢健二の聞こえ方は一体どんなものなんだろう。小沢健二の頭の中にある情景は、ここにいる人たちの頭にどう浮かんでいるのだろう。私の頭の中に百道浜室見川も空想でしかないように、いちょう並木がぼんやりと素敵に描かれている脳内を思う。そしてわたしの東京タワーへの思慕に小沢健二の影響は少なくないなと、聞きながら気が付いた。じめじめしていない、あっけらかんとした東京の曙橋の晴れ渡る感じ。

コンサートの構成は新旧の曲が思わぬ形で入り混じり、あれもこれもこんなに聞かせてくれるのかという大盤振る舞い。全く休まずに続く演奏。バンドが大きくて素晴らしかった。座席のある会場で音楽を聞くのが久しぶりすぎて、初めはやや狭く感じたけれど、結局自分の範囲内で大変よく踊った。大変よく踊らせてくれた。
"語り"ではないMCはほとんどなく、ごく僅かにあった「芸能人としてダメかもしれないけど、子どもの写真をアルバムのジャケットに使ってしまった。子どもから出てきたものが大きすぎて…」と言っていたのが面白かった。「芸能人として」みたいな認識あるんだ。そしてその子どもであるりーりーは本日お誕生日とのことで、ちょこっとステージに出てきてもらったプレゼントのお礼を述べていた。 
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今は必ず未来のなにかになるというメッセージ。愛にはなおす力がある、毎日にはなおす力があるというメッセージ。そして90年代に僕を見つけてくれてありがとうというメッセージ。
日々のよしなしごとの中にいるとどんなことにも意味を感じたくなくなって、彼の放つ言葉の真っ直ぐさに鼻白む場面が多いのだけれど、こうやって直接言われるとそういうものかと思わされて涙が出る。歓びとか輝きとか、この人は生きてることを肯定はしてくれるけど、決して生ぬるいことをゆるしてはくれない。誰かに期待されていることをきちんと叶えなくてはいけないなと、少々飛躍した感想にまとまった。

 

とにかくなんかいいものをみせてもらったわ…とふらふらグッズとCDを買い、電車を乗り間違えて、平和園で餃子とビールをして寝た。f:id:l11alcilco:20220621085745j:image

 

 

 

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*1:5年前に観たときの記録はこちら↓