おじさんのこと

仕事はほとんどおじさんと一緒ににいて、プライベートもなぜだかおじさんとばかり話している直近の日々である。
同世代の同性と会話する時間がない、時間がないというか機会がない。もしかしたらこのまま私もおじさんになってしまうかもしれない。
久しぶりに帰り道が一緒になって話した女性とは「緊急事態宣言が明けたら行きたい立ち飲み屋はここ」と「発泡酒なら本麒麟がいまアツい」という話題に終始したので、これはおじさん会話としてカウントしたい。つまりやっぱりおじさんになりつつあるということかもしれない。

社内の勢いのあるおじさんに目を付けられて(言い方が悪い)、一緒にお茶を飲んだことを強く反省している、なぜならまた行きましょうの圧がすごいから。
おじさんの波乱万丈の人生について知ることは「あぁ、わたしの人生まだまだだな」と思えてありがたいことなのだが、わたしの貴重な貴重な休日のティータイムはこれで良かったのだろうかと半日後くらいからクラクラ来るわけだ。おじさんが嫌いなわけではないのだが、なぜだろうか、なにかに貢献した感じがしてしまう。
唯一の線として、ご馳走にならないということを何故か大事に守っている。かつてはおじさんにいろいろと美味しいものをご馳走してもらったりしていたこともあり、いま思えばあれは「パパ活」だったのかもしれないが、それはさすがに36歳にはできない。貢献したならご馳走されてもいいのかもしれないが、自分の存在を実際に売っているぞ!ということが恐ろしい。お金には支配や服従といった匂いを勝手に嗅いでしまうのだ。

愛知県は緊急事態宣言が解除されてお酒を9時まで飲めるようになったので、仕事を早く終えた日に喜びと共に一人で飲みに行ったのだが、そこでもおじさんに会った。初対面おじさん。
初対面おじさんと楽しくマスクをつけたり外したりしながら喋りながらビールを飲んだのだが、これまたおじさんの波乱万丈の人生を垣間見ることになった。面白かったし為にもなったし、こちらのおじさんは私の話も聞いてくれた(つまり前出のおじさんは…)のでイーブン感があってよい出会いだったのだが、この人もまた行きましょうの圧がすごい。

おじさんはまた行きましょうと言う。喋れる相手をすごく強く探しているんだろうか。しかし一度おおまかに人生の話をした相手にその続きを話すとは思えない、だってすぐ、明日行こうとかって言うんだもの。朝ドラじゃないんだから、まだ続きができていないはずだ。だからもう一度同じ話をするんじゃないかと思うのだ。それか、同じ話を深くしていくのか…昨日話したのは目次で今日が中身になるのか?それとも、やっぱり年長者だから、私に今回聞かせた以外の別なストーリーを持っていてすぐ披露できる状態になっているのだろうか。わからない。
おじさんには友だちがいないんだろうか。私にもいない。私にもいないが、おじさんよ、初めて喋る瞬間がお互いに一番面白いのではないかね。すべてがお互いにとって新鮮であるのは最初だけなのだよ、と伝えたい。あなたは何度も同じことを聞いてほしいかもしれないが、それなら新しい相手をハントしてほしい。そのほうがお互いに幸せになれるのではないか。一期一会おじさん。寂しいけど。