気付くこと/酔っ払いの怖さのこと

ひとのブログやツイート、もしくは発言などから、「このような事象にこのような感情を持つことがあるのか」と目が開かれるような思いをすることが多い。
そして、「わたしも同じように感じている/いたかも」と感化までされる。
そのくらいのレベルで鈍感で、無関心に、なにも考えずに生きている。


以下の一節を読んでなんだかそれをしみじみ感じたのだ。

幼少期に父親が飲み会に行くと泥酔して帰ってくるのでそれまでに寝室に避難しておくというカルチャーがあってあまり良い思い出ではなかった。https://blog.sushi.money/entry/2020/12/21/195228

私もこれを、実家を出るまでずっとやっていた。

そのことを最近すっかり忘れていた。で、言われてみればたしかに「あまり良い思い出ではなかった」。


飲み会に行くと…というより毎日必ず飲んで帰ってくる父だったが、親から逃げていたあの行動はなんだったんだろう。絡まれてウザったい、面倒くさい、なんなら叱られて悔しい、困惑する、等々いろいろな感情があったような気がする。
忘れられないのは9.11、酔った父が兄に強烈に説教をしていたところにあの同時多発テロの映像がテレビで流れて、一気に興奮の矛先がテレビに向かったときだ。それを寝室で縮こまりながら聞いていた当時高校2年生。あの縮こまりは一体何だったんだろう。酔っ払いは予測不能な動きをするから怖かったのか。いや、もっと、身の安全が確保されないような、そんなことない*1のに、恐ろしい取り返しのつかないことが起きるのではないかと思っていた。
とにかく早く大人になりたかったよな。


大人になったらなったで大変なことはたくさんあって、学生時代に戻りたいと思うときはしばしばだ。でもやっぱり養われていて、この人に命を握られているぞ、みたいな意識があるほうがつらかった。

だから基本的には大人になってよかった。

でも自分が酔っ払いになって人を苦しめる可能性のことを考えていなかった。もうしばらく一人で住んでいるけど、酔うと激しくウザ絡みしがち(遺伝か?)なので、気を付けないといけないな。シェアハウスにいたときは嫌がられていたんだろうけどわからなかった。


そんなことを今更、知らない人の文章から感じるのだから、やっぱり読むことをやめないようにしなくてはな。

*1:家族への暴力とかはなかった