テレビと地方のこと

小学校のとき、担任の先生がクラスに向かって「みなさん、テレビのニュース番組は何を観ていますか」と質問したことがあった。われわれ生徒は口々に「ズームイン朝です」「めざましテレビです」「おはよう日本です」などと答えたのだが、先生は「そういうのはニュース番組ではないのよ…」とぼそっとコメントして、それ以上話を広げなかった。そんな記憶がある。
じゃぁ、なんだったら良かったのか。つまりそれは朝のワイドショーであって、報道番組ではありませんよということか。小学生が起きていて学校や塾に行っていない時間で、観られるニュースといえば朝の番組しかないのでは?
ということを未だに、『おはよう日本』を観ながら思っている。もうちょっと硬派な番組だった気がするのだが、いつの間にかお天気コーナーに面白要素が入ってきたり、『まちかど情報室』を7時台にもやるようになったりと、ゆるーくなってきたなぁと思う。これではニュース番組ではないかもなぁなどと、先ほどの先生のことを思い返す。

 

コロナウイルスの話になると「名古屋はやっぱり田舎なんだな〜と実感したね」という結論になり、みんなで(名古屋の人も含めて)笑うのだが、田舎かどうかはさておき、やっぱりテレビなりマスコミに対して、地方というのは弱いなぁと思う。『おはよう日本』の、現時刻の渋谷の空を映すコーナーを観ていると「無意味な時間だなぁ」と思う。東京に家族や友人がいるから、かの地のお天気は気になるといえば気になるが、自分の生活には関係ない。「羽織るものがあると良さそうです」「そうですか」という感じ。各時間帯に15分ずつ、地方局からのショートニュース&天気予報&道路情報が流れているので、そこをよくよく観て、「羽織るものがあると良さそうです」と言われたら「わかりました」と羽織るものをカバンに入れている。
『王様のブランチ』みたいな番組は名古屋のテレビ局でも作っていて、東海圏の新店舗やらなにやらを教えてくれる。地方ごとにテレビ局があり、地方のテレビ番組がある意味を、今更ながら実感している。

 

シン・ゴジラを観たときに思ったのだが、ゴジラがたとえば北九州に上陸するストーリーだったら、内閣はあんなに紛糾しなかったし、物語も盛り上がらなかっただろう。コロナウイルスも北海道だけで流行っていたら、ニュースに割く時間はとても短かったのではないか。地震も厄災も、東京が絡まないと全国的なトピックにならないのではないかと疑っている。おそろしいし、どこに住んでいてもバランスなんてとれないのかもしれないと思う。結局身近な存在しかフォローできないのかもしれない。でもそれが差別やら偏見につながるのであれば、断固として阻止しなくてはならない姿勢だとも思う。難しい。


以上、今日は休みで、昼過ぎから民放を流しっぱなしにしていた感想です。
f:id:l11alcilco:20200703201026j:imageお昼は焼きそば。