ポエムのこと

Twitterが出てきて、さらにInstagramが生まれて、世の中のかなり多くの人が短文を書くようになった。
それによって、ほぼ自動的に、多くの人が詩人化していると思う。


ブログももちろん詩的であることは多いし、90年代のインターネットでもポエムしている人たちはたくさんいたと思うのだけれど、もっともっと自分の意図によらずに、いまインターネットをしている人たちは詩的になっていると思う。ただ、今日ああだった、さっきこうだった、と書いている人が増えて、それがいつの間にか詩になっていることが増えている。

 

5年くらい前に「ポエム化する社会」みたいな言い回しがあって、それは、「夢」とか「絆」とか「ナンバーワンにならなくてもいい」とか、そういう言葉に収めていってしまうことへの危機感、つらいことをふわふわさせて、現実をちゃんと見ないことへの不信感みたいなのがあった(と思う)(ちゃんと読んでない)。
居酒屋のトイレの相田みつをとか、結婚式や葬式での人の過剰な美化とか、ワタミとか、そのへんのことだった。わたしは、そこに挙げられていたようなことにはアハハ、ちょっと笑っちゃうよね、という気持ちがある。

 

そうでなくて、現実を言葉にすると詩になっているという現象が、いまわたしの身の回りに溢れている。
定時に会社を出ると空が明るい、みたいなこととか、駅のトイレで隣の個室の人が巻くトイレットペーパーのリズムが「ジングルベル」だった、とか、実家に帰ったら自分の寝る布団の上にタラレバ娘が積まれていた、みたいなこととか。
なんて詩的なんだ…と思う。
それを書く。
似たように書いている人を見て「なんて詩的なんだ…」と思う。
似たように書く以上に、素晴らしく書く人ももちろんいて、衝撃を受ける。こんな視点があるのかよ、こんな言語化があるのかよ、こんな気持ちがあるのかよ…と。
大好きなデイリーポータルZの古賀さんのブログなんて、まさにそれだ。日々のことを書いているだけだけど、めちゃくちゃに詩だ。
そんなポエム化は悪いことではないと思うんです。

 

(追記)まさに上記の先鋭化されたような内容で、この本おもしろかった

平和園に帰ろうよ (新鋭短歌シリーズ48)

平和園に帰ろうよ (新鋭短歌シリーズ48)

 

 

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