レシピのこと

 

レシピを読むのが大好きです。
買ったりもらったり買ったりで、本棚の一段はレシピ本で埋まっているほど。でも、そこからきちっと引用してご飯を作ることの少ないこと。
まず3食作ることがほとんどないし、夜作るときは帰り道に「なんかこういう味のものが食べたいな〜」と思ってスーパーの見切り野菜を買ってみたり。またその翌日は残り物を処理することを考えたり。今日は諦めよう、となって松屋に行ったり。こう書いてみるとなんと気ままなことか、家族のいる人の献立作りとは全く違う世界観にいることに少し恐縮いたします。

こういう感じでやっていると、レシピ本を開いて「冷蔵庫にこれもそれもあるわ!作ってみましょ」とか「よし(パタン!←本を閉じる音)、買い物行くか!」とか、なるタイミングほとんどないのです。
結局メニュー名や素材の名前で検索しながらスーパーを徘徊して、あるものを買う。スーパーは深夜までやっていても生鮮品は追加されないから選択肢も狭まっており、なにかと代用に代用を重ねて、結果食べるのは別のものになることもあるくらい。
それで別に構わないんですけども。

最近すこし進歩したことがあって、レシピ本を買って嬉しくてばーっと読んだ直後、「これなら作れそうだ」「これは美味しそうだしやってみたい」と思ったら、材料の部分をスマホで写真を撮るようになりました。そしてレシピのフォルダに入れる。ネットで見た「超簡単☆超極旨☆」みたいなレシピも、スクリーンショットをとってレシピのフォルダへ。そして会社の帰り道にそれを見ながらスーパーで品定め…という新しい流れ…
個人的には大進歩なのですがわりと普通かなと書きながら不安になりました。


そして、さらにまたあたりまえなのですが、
レシピ通りにキチっと作るとすごい美味しくできますよね!
あたりまえなんですけどもね!!!
料理家のみなさまの知恵とアイデアと試作の繰り返しが全てここに詰まってるわけで
週に一度しか料理をしない人が独自に編み出した二度と作れない「なにかとなにかを炒めたなにか」みたいなものとは全然違う…
あたりまえなんですがいちいち新鮮に感心してしまいます。

 

で先日この本を買いまして

掲載されている「鶏の塩水煮」をずーっと作ってみたいなあと思っていたので、昨日の夜取り組みました。
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これが、びっっっっくりするほど
美味しくて…
お肉を鍋から取り出した瞬間に
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「…!?こ、これは…!ケンタッキーの匂い…なぜだ…!?」って名探偵コナンの声が脳内に響き渡りまして(そしていい匂いすぎて写真を撮った)

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食べても「この香り…このジューシーさ…この味…揚げてもないのに…ケンタッキー…なのか…!?」という、鶏肉の褒め方の単語がケンタッキーフライドチキンしかない人になってしまいました(そして早く食べたすぎて写真がブレている)。
いやーすごかった。
骨付き鶏もも肉で作るようレシピにあるのですが調達がうまく行かず、重量の半分は手羽元で作りました。しかしやはり手羽元はケンタッキーにはならず、下処理から始まり諸々レシピ通りにした部分がケンタッキーになったので、やはりレシピに忠実にすべて執り行うことが初心者には何よりも大切なのだな…と(鶏肉の)骨身に沁みて感じました。

 

今日は同じ理論で鯵を煮ました。
イタリアンパセリがスーパーで売ってないのでセロリの葉っぱで代用。残ったおつゆでじゃがいもも茹でました。もう全然レシピに沿ってない、昨日の感銘、そして骨身に沁み込んだ教訓はどこへ行ったのかという始末。これはこれで美味しかったので、こういうのをアクティブラーニングというんだと思って前向きに捉えておこう。f:id:l11alcilco:20190325221947j:image