ギラギラのこと


「#ドバイ」でインスタグラムを検索すると、ギャルばっかり出てくる。砂漠で薄着で微笑むギャル。プールでビキニを披露するギャル。世界一美しいスタバでフラペチーノと自撮りのギャル。ドバイのギラギラがギャルを惹き付けるんだと思う。今は流行ってないけど、スワロフスキーを敷き詰めたガラケーをかつてのギャルはみんな持っていた。あの感じがドバイにはある。キラキラではなくて、ギラギラ。


私はギャルではない。この方角の飛行機に乗るならモロッコに行けば良かったと未だに心の片隅に後悔はあるが、一方でギャルへの憧れもずっとある。明るくて、手間をかけてギラギラを装うことで武装して強くなって、努力友情勝利、の人たち。見た目を自分で頑張って、自撮りで頑張りを示すから、自己肯定感があるように私には見える。ギャルになりたい、ギャルになったら楽しく生きることができそうなのにと、ギャル人生に過剰な期待をしながら33歳になったのだが、黒髪ショートにユニクロを着てローファーを履いて会社と家を往復している。会社にも家にもギラギラはない。家の家具ぜんぶ無印良品だから光ってるのステンレスしかない。


そんな自分の態度に飽きが来ているのか、ドバイ行きも含めて、最近強めにギラギラを求めているような気がする。


その一端として、フィールサイクルに入会してしまった。あらゆる運動の中でも個人的にギラギラ度の強いフィールサイクル。レッスン中のインストラクターに合わせて参加者もフーフー叫ぶフィールサイクル。お値段もギラギラだから、キャンペーン期間が終わったらたぶんやめる。

そういえば一時期、腹筋を割りたいと思っていたときもインスパイアしてくれたのはギラついたコスプレイヤーさんだったし、なんならローラのフィットネスアカウントを楽しく観ている。運動もギラギラの力なしには動き出せない。

 

それと、イエモンTHE YELLOW MONKEY)。
ギラギラの角度を少しずらすとスワロフスキーと鋲を間違えてしまうことがあるらしく、ギャル的世界観からロックンロールの世界観に入ってしまったのが学生時代の私だった。ギラギラの矛先が「美」「かわいい」「おしゃれ」ではなく「目立つ」「ロック」「変」「☠」みたいになってしまい、髪の毛を変な色にしたりヒステリックグラマーを着たりしていた。
イエモンとはまた少し別な角度だったと思うのだけれど(あと好きになりだした時点で彼らが活動休止してしまったこともあって影響を受けきれなかった)わたしは私なりにギラギラしていた。卒業アルバムにシースルーのシャツで授業を受けている写真が残っていて絶対に開きたくない。異常だ。
あの頃のイエモンのギラギラは厚みがあって、ポップというより耽美で妖艶であった。今あらためて、再始動して本気を出している少し枯れたイエモンを見ていると、あの頃の自分が声をかけてくるようだ。
「もうちょっとギラギラしてみたらどうなの!」
YouTubeにあがっている新曲はみんな素敵だし、ギラギラは減ったように見えて食べたらジャリジャリしそうなくらいだし、イエモンのお風呂に浸かってザバーっとあがると大昔のブリトニー・スピアーズのMVみたいに全身ギラギラになっているんじゃないかと思う。(そういえばある日深夜にYouTubeビヨンセブリトニー・スピアーズの動画を観まくった日が最近あった。わかりやすいギラギラ摂取。)
とりあえず新しく出るアルバムを聴いたり過去のCDを掘り起こしたりするべきなんじゃないかと思っている。イエモンならハマってもいいよと、なぜか上から目線で自分が自分に許可している、気がする。


とりあえず溜まりに溜まったユニクロを捨て、今の会社にいるギャルの人に教えてもらったお店に行きたいのだが、そうすると会社に着ていくものがなくなってしまうのでは、いや、でもギャルの人はその店で買った服を着て会社に来ているわけで…いやその逡巡がギラギラを遠ざけるのでは…ドバイに行くぐらい思い切りたいがしかし……ギラギラへの道のりよ。

 


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(ギャルは立ち食い蕎麦食べるのだろうか)