歩道のこと/本屋のこと


どこか新しいところに住んだら、というか、どこかに行くなら、下調べしておくのはビール屋と本屋と決まっている。名古屋では、伏見のBRICK LANEと、東山公園のON READINGがそうだった。それは5年住むうちに円頓寺のENDOJI BREWINGとなり、金山のTOUTEN BOOKSTOREとなっていった。近くて明るくて美味しいものがさらりとあって、気取らなくて、という場所。できればそこには歩いて行きたい。kemioくんが言ってたけど「散歩は神からのアクティビティ」だから。

クアラルンプール"近郊"に越してきて、まだここというビール屋には出会えていないけど、本屋には出会えた。
歩いていける範囲ではなくて、家からバスに乗って行く。それは全然OK、東京でも名古屋でも嬉しい気持ちで本屋へ公共交通機関で通っていたもの、大して変わらない。それにバスを降りるとここには歩道がある!でも、帰りのバスが来る道路の反対側に渡るための横断歩道はない。
ということをわざわざ言うのはなぜかというと、ここにはなかなか歩道がないのだ。歩道、横断歩道、歩道橋、がない。正確に言えば全然足りてない、私には。片道3車線もある広い道が整備されているのに、その端には路肩しかなくて歩道がないところがたくさんある。ある歩道をルンルンと歩いていると途中からそれはいつの間にか路肩に変わり、その雑草の合間から獣道のように"野良の歩道"があらわれる始末。草のはえない土の上を、「あ、ここ誰か歩いてんだな…」って、山で先人が来た道を感謝するように歩く。野良の歩道を維持する活動だ。そして私以外歩いている人はいない。わたし何かおかしいことをしてますか、と世に問いたくなる。自分が歩いているときに誰か別な人が歩いていたら、心の中で投げキッスを送るくらいに歩行者はこの国では孤独なのだ。だから歩道がいらないのかというとそうではない。逆なのだ!歩道が、もしくは自転車道がもっと整備されれば、この街はこの国はもっと良くなるはずなのに。というのが引越してきて1か月の感想だ。別な人はマレーシアで歩行者は人権がないと言っていたけど、"歩行者に人権を渡せ党"みたいな政党を作って立ち上がりたいくらいに歩道がほしい。でも選挙権も被選挙権もない。日本の在外選挙人証は届きましたが…。
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その点、先日出かけたタイのチェンマイは歩道も横断歩道も充実していた。まぁ横断歩道はドライバーからすると割と軽微な存在というようにも見えたが、手押しの信号をちゃんと点ければ止まってくれていた。この期待値の低さは東南アジアあるあるだ。
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で、行った本屋で出会った本を、やっと最近になって読み切った。

Katie Goes to KL (English Edition)

Katie Goes to KL (English Edition)

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Su-May Tan『Katie Goes to KL』は、オーストラリア生まれ育ちの高校生Katieが、祖母の葬儀でクアラルンプール(KL)に行く話。父子家庭で父は中華系のマレーシア人、6歳の頃から母は死んだと聞かされて育ってきたのに、なんとKLで母は生きていて…!?というびっくり展開のあるジュブナイル小説である。
その中でこういうくだりがある。(以下、意訳by私)

スニーカーをつかんで履こうとしたら「どうした?」と眼鏡越しに叔父さんが訊く。「散歩に行く」踵をトントンしながら返事をした。「どこに?」「この道の先に公園があるでしょ?」「公園?」叔父さんは窓の外を眩しげに見る。「さっき、来るときに見たの」私がそう言うと、叔父さんは眉をしかめる。ちょっとなにか言いたそうにして、結局「行っといで」とだけ言い、また新聞を読み始めた。
・・・
メモ:30℃の中散歩に出てはいけない。家を出てから10分しか経ってないのに、背中は汗でじっとりしている。空気が重くて息がしづらいくらい。ちゃんとした歩道がないし道の名前はみんな似たようで(中略)私はだれかの家の前の区画*1のようなところ…と呼べばいいのか?そんな隙間を歩いた。芝生のあるところから始まるのだけど、すぐ緑はなくなり石だらけになる。車が自分のすぐ横を走り抜けて恐ろしいし、なんなら自分が立ち止まって車が通るのを待つときもある。*2


このくだりを読みながら私は、わかる〜〜〜〜〜〜!!!となった。共感しかない、このオーストラリアから来たヤング・ガールに。歩きたいよね、でも歩かせてくれないよね…?わかるよ…この歩道への共感、マレーシア渡航初期あるある(?)が、この本を読み進めるドライバーになったことは間違いなく、なんだかとても嬉しかったのだった。この後にも、主人公の彼女が「こうしたい!」と主張したことに対して同世代のいとこに「いや、ここはマレーシアなんだよ」と諭される場面があったりして、2つの世界、というより、マレーシアの中の中華系仏教徒とマレー系イスラム教徒と、オーストラリアで育った人の欧米的価値観との3つの世界のなかで揺れ動く主人公の姿が面白い一冊だった。


読み終わって次に読む予定なのは先述のチェンマイの古本屋で買った本。チェンマイにも良い書店が沢山あるようで、少ししか回れなかったのが悔やまれる。中でも一軒、すてきだったお店*3では、マグネットをお土産に買ってきた。かわいくて「これはお店の名前ですか」と訊いたら「そうです」とのこと。
「なんて読むんですか」
「ロウです。意味は、tell a storyです。」
「…(キュン)!!!」
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なぜ2色がんばって厳選した?もっといろんなバリエーションがあって…全色買えばよかった…と、いま後悔しています。

 

 

 

*1:a nature stripというのが原文表記。Australian Englishらしい。オーストラリアで車道と誰かの家の間に横たわる歩道とも庭の延長ともつかない空間のことを示す言葉のよう。

*2:ちなみに私の英語での読書力は中の中くらいだと思う。小説を読んでいてわからない単語がぽこぽこ出てくるが、一字一句調べると読み進まないので調べない。なんとなくこんなことを言ってるんだろうなと思いながら読む。とはいえ推測で疲れるから全然進まない。この訳を載せるにあたっては当該箇所の不明点を調べましたが…

*3:ここはタイ語の本しかなくて、見本も少なかったので中身がわからず本が買えなかった。zineもいっぱいあった。

緑色で毛の生えた丸のこと

 

801ちゃんのことではありません。

 

いろいろすっ飛ばしますが、マレーシアはクアラルンプールから多少離れたところに住み始め、やっと1ヶ月が経ちました。ツイッターにも書きましたがクアラルンプールの中心を新宿とすると私の住居は八王子くらいのイメージでしょうか。もしくは船橋くらいか。IKEAがある感じです、最近のIKEAは新宿にもあると聞いてはおりますが、できたばっかりの頃のIKEAを想像してください。なんかちょっと遠いな、誰かクルマ出せる?みたいな距離感です。
職場は船橋から行くと蘇我という感じの距離感かもしれません。あんまりよくわかってませんが、とにかく毎日、朝6時に家を出て車に乗ってズンズン走って7時になる前くらいに会社に着いて、制服を着て働き始めるという生活をしています。

つまり5時起きです。
無理です。
修行です。

7時に家を出て8時くらいから働くというのが通常のスケジュールなのですが、いまの時期マレーシアは(というかムスリムのみなさんは)ラマダン(断食)期間で、それに伴い始業・終業が小1時間早まっているのです。
本当の修行なのです。
と言っても私は普通に3度食事を摂っていて、早く行くだけ。ムスリムのみなさんは日の出前にご飯を食べて出勤して、日中は飲まず食わずで過ごして、日没になったら食べる、というスケジュール。昼休みに机で寝ている姿に申し訳なさを感じます。みんなが早く帰ってお祈りや食事の準備に時間をかけられるようにしようという慣習のようです。この暑いのに水も飲まないというのです。私よりよっぽど無理をやっている。途中で嫌になっちゃったりしないのかしらと思います。

しかし面白いのは夕方。断食明けの晩ご飯はしっかり、なんならいつもより豪華に家族みんなで食べたりするのが常らしく、あちこちに屋台が出て食べ物を売っていたり、レストランでスペシャルメニューが出たりしています。なんかお祭りモードで全然修行感ない。スーパーでも晩ごはんのときに食べるデーツの箱とかお菓子のセットとかが、お祭りパッケージに入って売っています。お洋服もセールになるし。

これは面白くて買ってしまったクッキー箱


極めつけはラマダン・ビュッフェ。いろんなホテルが夜のビュッフェを運営していて、家族やら友人やらで集って出かけるらしいのです。

で、そのビュッフェに、勤め先のイベントで参加してきました。
すごかった。
こんなに広いところにこんなに机置いて椅子をギチギチに並べて、こんな満席になる⁉てくらい混んでて
18時半集合で椅子に座るのに食べ始めるのは19時半て言われてマジで!?その間何すんの!?って困ってたら先に食べ物選んで来ていいよって言われて
こんなに広いところにこんなに食べ物並べてライブキッチンもいっぱいで何食べたらいい?てくらい種類があって
でも食べ物の大半はなんかしらのカレーみたいなものがほとんどで、カレーでない食べ物で何かわからないものは食べても肉なのか魚なのかもわからなかったりして(そして周りの人に聞いてもわからなくて)
やっと食べられる時間になったけどムスリムのみなさんがお水飲んでデーツ一粒だけ食べたらお祈りに立って行くのに驚きながらも食べて
帰ってきたらめちゃくちゃ食べてたからホッとして自分も2周目食べてとかして
まぁ面白かった。

そこでね、出会ったんです。
緑色で毛の生えた丸に。
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これです。
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お菓子です(飲み物気になると思いますが)。
最初の周回の時点でデザートコーナーで、これだけかなり減りが早かったので、「うまいんだな」と察してピックアップしておいたのです。
それが大正解。
緑色の部分はお餅のようなお団子のようなぷにぷに触感。毛はココナッツフレークでふわふわ。それだけかと思いきや、パクっと食べると中からシロップのようなものがとろーりと。この感じ、アレよ、みたらし団子が表裏逆になってるやつみたい!でもみたらしの部分がもっとガッツリ甘くて、かつ醤油にはない塩気もある。うまい。
 
家に帰って調べると、これはOnde Ondeという名物お菓子で、パンダンリーフというハーブ(緑色のもと)の白玉団子に、グラマラカという黒糖を入れたもの、とのこと。あの濃さは黒糖か。
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ほかのおかずもそのあとに食べたお汁粉みたいなデザートもみんな美味しかったのだけど、この緑色の丸がなんだかかわいくて美味しくて出会えてよかったな、日本のお友達のみんなにも食べてもらいたいな、と思ったのでした。

会場にはお酒がなかったのでどうも落ち着かなくて、帰ってきてコンビニでビール買って飲んだのでした。



これは結局なにかわからなかった食べもの



 

遺影のこと

いえーいと言えーい。

 

連続で葬式絡みの話ですいません。ちなみにお墓は決めて予約ができましたので一安心。いや、全然安心も何もなく、お墓をドカンと一括で買った後も年会費みたいなの払わないといけないと知って衝撃を受けています。なんだよー。

 

それで遺影の話ですけどね、故人が亡くなっておやおやとなった翌日なり翌々日とかそのくらいにはその人のベストショットが必要という特殊環境での特殊リクエストが遺族に出るわけです。しかも若すぎてもダメ、最近すぎてもダメ…(というのは老人に限った話かもしれない。かなりケースバイケースなので、あくまでわたしの親の話だよということで聞いていただきたい)。

若すぎてもダメというのは、一番元気だったときの写真を活用したい気持ちはやまやまだけど死んだときと顔が違いすぎるから、なんかギョッとしない?という話。

そして最近すぎてもダメというのは、わたしの父は最近はろくに親戚や知人に会っていないため、葬儀に来る人が見覚えのある顔から少し変わっている(最後の記憶よりもさらに老けている)という話だ。

 

少し前にツイッター(またの名をX)で、お父様の葬儀にご本人の等身大パネルを出した、という投稿を見た。大人気で弔問客がツーショットを撮って帰ったという。なるほど楽しそうでいいな、と思った。しかしそれには、全身が写っている高解像度の写真が必要なのだ。

 

あるか?親の高解像度全身フォト。

ないんですよ。

 

うちの父の話で行くと、実家でアルバムを引っ張り出してきたものの、良い写真はどうも若すぎる。痩せてるしイキイキしてるけど、もう全く違う人のようで、「この人が死にましたよ」というのは少し憚られる。一番新しい写真は太りすぎているし、目が開いてない。やや新しい写真のほとんどは目線が合わないか、誰かの影になっているか、なんか変…という中で、なんとかギリギリこれならいいんじゃないのというものを、遺族(一親等)内でコンセンサスを取る必要がある。

しかも、写真はある程度の大きさが必要なのだ。なぜなら葬儀で飾るには、バストアップでB3くらいの大きさに引き伸ばさないとならないから。葬儀屋さんは「親指くらいの大きさがあればなんとかなります」と言った。こんなに写真に親指当てたことあったか、というほど当てて「ではこれを…」と写真の現物を葬儀屋さんに渡すのだった。

なぜだかデータで探すというアイディアが思い付かなかった。いや、データも見たのだが、これというものがなかったのかもしれない。この辺は記憶が曖昧だ。

 

この過程でわたしはしみじみと感じ入ったのだ。

写真、撮っておけ!

あと、焼いておけ!

写真を焼くという言葉が通じない方にお伝えし直すと、プリントしておいて!

だってね、いつ死ぬかわからないというだけじゃなくて、ふとした瞬間にみてごらんよ。GooglePhotosが10年前の自分の写真を急に画面に出してくると驚き、かつ少し面白いだろ?それを紙にしてちょっとおいておいたら、万が一の場合でもそうでなくても、自分も周りの人も少し面白いんだから。

フィルムで撮った写真を焼くという選択肢しかなかった時代から、一瞬デジタルプリントの時代を挟んで、今はとにかく撮っておきっぱなしになりがちだ。その極個人的なアーカイブを使おうよっていうのが06552355からのちゅ〜るのCMだろう。つまり、クラウドにしておかないで、犬猫ならテレビに応募して、人なら紙に出力しておいたらいいと思う。なんなら一緒に写ってる人に渡すくらいの勢いがほしい。

 

そんなこんなで最近のわたしは記念撮影に夢中なのだ。会う友人はたいてい記念撮影をされているはずだ。忘れて帰ると玄関で「あーっ」と声が出るくらいには真剣だ。酒を飲む前に撮るのがポイント。頼むからみんな写っといてほしい。

 

 

関係あること


もしくは墓のこと、かもしれない。

どこまでが「自分に関係がある」ことなのか、それはどうやって決めるべきなのか、という思い(悩みでもなく、考えでもなく)が生まれている。
それが墓に絡んでいる。
そしてこれはブログを読む人にはなんにも関係のない話だ。まぁでもブログを読みたい人は大概、自分に関係のないひとの関係のない出来事や思いを読みたがっているという前提があると思うのでいいことにする。

 

少し前にわたしの父が他界して、その半月後に伯父(父の兄)が他界した、という出来事があった。
父の死はほぼ突然、という感じだったのだが、伯父は割と長く患っていたため葬儀には来られず、ただ伯母と従姉妹が参列してくださった。
一方、伯父の葬儀には我が家は誰も参列しなかった。そもそも忌が明けるまで、お知らせがなかった。知らなかったから行けなかった。
身内の死に対しての取組み方が二つの家族で違ったのだった。

これに戸惑うのは我が母である。
「たった一人の兄弟なのに、知らされないなんて」という。
実際には"たった一人の兄弟"である父本人は存命ではないから、知らされなかったのではないかと私は思った。つまり兄本人には関係があるけど、兄の嫁であるうちの母には関係がない、という線引きがもしかしたらあったのかもしれないと。
まあ、ほかにも考える方向性はあり、伯母は疲れて誰にも会いたくなかったのかもとか、単純に我が家は嫌われているのかもとか、なんか他の事情とか、いろいろあるだろう。
そもそもこの15年ほど、ほとんど没交渉だった兄弟であり、その家族同士なのだから、互いに同じ温度を保つのは難しい。
私からすると、伯父には優しくしてもらった思い出もあり、なにしろ父の兄なわけであり、たしかに関係のある人で、弔う気持ちがあるのだけど、たとえば訃報のあったとき遠方に住んでいたら咄嗟に駆けつけるか?という問いにはなんとも答えられない。そうなると、その家族がどんなふうに葬儀をしようと、誰に連絡しようとしなかろうと、関係ないとも言える。
しかしそれを断言しづらいのは、この「関係ない」という態度が、「関係ある」人である自分の母を困らせているからだ。
関係ないと捨て去りたいことも、関係ある人が「わたしには関係あることなのだ」と主張したとき、それは自分の関係ごとになる。家族というのは割とそういうシーンが多いような気がする。


さて、人が死んだら大概墓に入るのだけど、父は生前に特に用意もしていなかったので入る先がない。四十九日を過ぎても骨はまだ家に置いてある。
墓は土地をゲットするところから始まる*1し、高いし、死後のあれこれの中でも断トツのなんだこれ感あふれる事柄なのだけど、『昨日何食べた?』のシロさんの両親のようにマンションのような感じで入れるものもあり、我が家は現状そういった空間を検討している。そうすると今度は間取りを選ぶように"いくつ骨壷を入れられるようにするか"を検討することになる。*2
わたしが「2つ入ればいいよね?父と母の分で。」と言うと、母は「えー、でもお兄さん(自分の息子のこと)とお嫁さんは私達は同じところに入るんじゃない?あとあなたは?」と言う。
それは、母には関係ないのではないかと思う。
私は独身で子どももいないので、死んでも墓はなくてもいい気がしている。それは母に関係ないというか、私が先に死なない限りは母が関与しないことだ。でも今の彼女には関係ある。
さらに祖父母の墓はどうするか、その親の墓もまだあるが、どうするか。こうなってくると私としてはもはや関係ない気がしてくるのだが、やはり母は関係ある。お盆、お彼岸が関係ある。

どこまでの事柄に真摯に取り組み、どこからを関係ないとしてよいのだろうか?と思う。地球環境とか日本の将来とかみたいなデカい話も同じなのだが、兄弟のこと、親のこと、親戚のこと、友人のこと、すべて「わたしには関係ない」としてしまおうと思えばできる。しかしそれでいいのかなと墓参り帰りの車の助手席で思うのだ。


寝る直前になって花粉症の薬を飲んでいなかったことに気がついて、隣室で寝ようとしている母に「花粉症の薬飲んだ?」とドア越しに声をかけながら、いま私が一番関係している人はこの人だなと思う。
近くにいることは一番カンタンに関係あれる手段ということだな。


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*1:公の墓地だと土地の抽選もあるらしい

*2:もちろん入れる骨壷の数で値段が変わる。あと、敷地内の場所とか、縦の何段目かとかでも変わる。

鶴見のこと

 

鶴見という駅があるのは知っていたが、一度も行ったことがなかった。なにがあるとも知らず興味もなかった。ところがこの数年、みんな大好き大人気・武塙麻衣子女史の日記本を読むにつけ、ものすごく魅力的な土地に思えるようになってきた。特に「たかぎ山」という店が、楽しそうで美味しそう。ついでに前から噂に聞いていた大盛りの店「ばーく」も行ってみたい。そんな思いはありながら、名古屋に住んでいるとなかなか遠征もしづらくどうしたものかと思っていたが、おかげさまで東京で無職として活躍しているこの数週間、いつでも行きゃあいいんだわ、と気付いて出かけることにした。

 

鶴見はS氏の職場が近いので、「たかぎ山」って知ってる?と訊いていたのだが、行ったこともなくどこだか知らないと言う。「ばーく」はしょっちゅう行っているらしいのだが、そんな美味しいところがあるのかなあ、同僚の人たちも知らないみたいよ、という姿勢だ。日記本界隈(あるのか?)では超名店なのに…?と訝しんで、実際に行ってみると「ばーく」と「たかぎ山」は目と鼻の先というくらいに近いから驚いた。大盛りを食べたい人と大衆酒場で飲みたい人との間には見えない川があるのだろうか。わたしはどちらも関心があるのだが。

まずランチでばーくに行った。大変かわいい店構え。満席で3分くらい待つが、すぐ通してくれた。
前々からインスタグラムなどでメニューを予習しておいたのだが、心が決まっていない。極厚のハムカツがおもしろメニューとして有名で、やっぱりこれか?と思うのだが、ばーくのプロであるS氏から「途中で飽きるからやめたほうがいい」と冷静な示唆が予めされている。仲間のおもしろメニューとして極厚のベーコンカツという悪魔のようなものもあったり、バターライスという詳細不明なものや、トマトライスカツというなんだか楽しそうなものもオススメされている。迷う。迷う。しかし結局ポークソテー。インスタで裏メニューとして紹介されていたのを見て気になっていたのだった。
ポークソテーってできますか?」お店のお姉さんに聞くと、「できますよ〜、あと、"焼肉"ね」とお返事があり、横でS氏がこくりと頷いていた。S氏は常連になっており、さらに"焼肉"というメニューが定番なのだと聞いていたが、こんなにツーカーなのかよ、とひとしきり笑ってしまう。もう、お店の子じゃん。

ポークソテーちょっと時間かかりますよ〜。」と言われ待つ。
周りの人が頼んでいるものが気になる、オムライスもあったのか、とか、やっぱりトマトライスカツがよかったかもなどと思うが、登場したポークソテーは大変立派で豪快なものだった。分厚いとんかつ用のお肉が2枚どんどん!とお皿の上に乗っていて、山盛りの千切りキャベツとプチトマト、もやしのナムルのようなものと茹で卵がセットになっている。肉はお箸では切れず、ナイフもないので、ワイルドにそのまま口に入れて噛みちぎる。美味しかった。肉汁を活用したような感じのソースはグレイビーとも違うサラサラさ。それが横に大盛りされてるキャベツの千切りにかかったサウザンアイランドドレッシングと、食べすすめるうちにジワジワ混ざり合って、ジャンクさがUP!してうまい。
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大きいなあ、うまいなあ、大きいなあ、うまいなあ、と言ううちに飽きそうなものだが意外とそうでもなく食べ終えた。数日前から胃の調子が悪かったのだが、ばーくに備えて前夜に鍼に行き、胃腸を動かしまくってもらって準備した甲斐があったというものだ。
いつもはS氏のほうが食べるのが遅い(私は世の中の人の平均よりもかなり食事のスピードが速い)のだが、この日は圧倒的にお待たせしてしまった。S氏は通常、わりと少食なのに、"焼肉"はリズムがあるのか、スムーズにご飯のおかわりをしながら食べ切っている。なお焼肉は、豚コマともやしの炒めたのが山盛りになっているものだった。その横には山盛りのキャベツの千切りがあり、ジャンクに見せて実はヘルシーなのではと思わせる。ごはんは通常盛りを頼んで半ライスおかわりするのがコツらしい。最初からご飯をたくさん盛ってもらうのではなく、分けて注文することにより温かいご飯を食べたいという強い意志が感じられてよかった。一方、反対側の隣の席はベーコンカツと中盛ご飯(500g)を頼んでいて、漫画のような山盛りのごはんが供されているのが見られて嬉しかった。頼んでくれてありがとう、隣の人。なお大盛にすると1kgのご飯が出るという。大家族か。

腹ごなしにウロウロ歩いて夜になるのを待つ。途中、S氏の職場の上司にお目にかかるというイベントが突如発生し、しきりに「彼は本当にいいやつで」と仰るのを聞く。私もそう思います、とも言えず、にこにこしていると「だから、彼を幸せにしてやってください」と締められた。
「…努力します」とお返事しながら心底冷や汗をかいた。

さて、17時になり、たかぎ山へ。
「いいですか」と訊くと「予約されてますか」とのお返事。
「してません…」
「予約いっぱいで…」
「何時からだったら、とかありますか」と食い下がるわたくし。
「今日は全時間帯埋まっちゃってて…」
「🥺」
「インスタとかやってますか」
「やってます…」
「DMで予約受けられますので…」
「わかりました…」扉を閉める。
予約できるのか…予習不足だった…何食べるか(ハラミユッケ)しか考えてなかった…と肩を落として、その3軒隣の『壱豚』の扉を開ける。こちらも、武塙シリーズに登場するお店だ。
「いいですか」
「えーっとねー…」
「何時までとかあったらそれでも…」
「6時半までテーブル空いてます」
「ありがとうございます!」朗らかに座った。
ビールと青りんごサワーを頼んだら、見たことのない"中"の量のサワーが来て笑ってしまった。"外"をなるべくたくさん入れて飲む。食べ物は刺盛り小、ピーマンとチョリソーとチーズの春巻き、そして海老ワンタン。全部のメニューがボリュームがあるのに安い、しかもオリジナルのかわいいお皿に載ってきた。刺盛りは四種類もあるし、春巻きはピザトーストみたいな味で面白く、ワンタンはつるりぷるりでとにかく嬉しいのだった。2杯目にハイボールを飲んだ。
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約束の時間にお会計をして出て、ああでも絶対たかぎ山にも行きたいからまた鶴見に来なくちゃ、と言いながら電車に乗り、川崎で降りてもう一杯飲み、渋谷で降りてまた飲んで、さらにもう一軒入った途中から記憶がないのだが家には帰ってきていた。タクシーのレシートがあるので恐らく終電がなくなったのだろう。翌日は夜まで二日酔いでなにもできなかった。
勘弁してくれ、はしゃぐなアラフォー。


ところで、野毛にも行きたいです、誰か。

ファイテンのこと

お正月。箱根駅伝、見てますか。

みんな、頑張ってる。

青学、駒大、頑張ってる。

みんな、なんか貼ってる。

みんな、ファイテン貼ってる。

 

あの首やら脚やらに肌色の円形のシールのようなものを選手たちが貼っていますよね。ピップエレキバンか何かと思っていましたが、あれはファイテン。正式商品名「ファイテンパワーテープメタックス(丸タイプ)」。あれを貼ることで何が起きるのか。テーピングなら痛いところをかためて不本意な動きをしないようにしている?のかな?とか。ピップエレキバンなら磁石がついているから、磁力?がなんらかの働き?をして血流を改善している?それによって筋肉の緊張を解く?みたいなイメージがつきますが。

ファイテン。材質はポリエステル、綿、ポリウレタン。その下に「技術:メタックス」と書いてある。メタックスってなんだろう。ウェブサイトには効能の記載はなく「貼るだけで強力ボディケア!」という文句のみがある。使用者の口コミとして「筋肉がほぐれます」「つけてるとつけてないとじゃ大違い」などと記載されている。

怪しすぎる。なんなのか。

って、前から気になっているわけではないのです。なんか貼ってるな、効果があるんだろうな、って思ってはいたけど、関心はなかった。それに、前から材質を知っていたわけではないのです。急に気になり始めたのは、去る12月29日に、ファイテンを体験したからなのです。

 

12月29日、名古屋から東京への引越し当日。

前夜は最終出勤で無駄に20時まで会社にいて、その後仲良くしてくれたメンバーと飲みに行き、おおいに酔って帰宅。すぐ寝りゃいいのに寄せ書きをつまみに(正確には東海セブンイレブン限定の台湾まぜそばをつまみに)残していた紙パックのワインを紙コップでぐびぐびと飲み、何時に寝たのかわからない。

そして朝、7時に、と約束していた姉がガランとした部屋に来てくれて、カーテンを外して最後の最後のゴミとして出した。早速エレベーターのないアパートの3階を上り下りしてくれる姉。恐縮です。私はもちろん二日酔いだ。

近所の喫茶店でモーニングを食べ、部屋に戻って最後の箱詰めと掃除。取れないと思っていた床の汚れの拭き方を教えてもらって取ったり、そういえば住んでから一度も洗ったことのなかった台所の換気扇を姉が洗ってくれたりした。私は何もできないことをつくづく噛み締める。最後の最後まで使っていたドライヤーと小さい掃除機を捨てに歩いたり、掃除機は小型家電として回収できないとのことで、リサイクルショップを検索して歩いたりした。リサイクルショップではネパール人のおじさんが「お金欲しい?」と訊いてくれたけど、要りませんのでもらってください、と言って渡す。ずーっと歩き回っている。

引越屋さんが来て、コンパルにお昼を食べに行き、管理会社が来て、クローゼットの扉に穴を開けたことを正直に申告して、部屋から追い出されたのが17時。手にはハンドキャリーの激重スーツケースが3つ、激重のリュックと昨日もらったお菓子類の入った袋が1つ。予約してある新幹線は20時20分。ゆとりがある…というか、ありすぎる。二人ともぐったりと疲れている。寝たい。寝るには…漫画喫茶か?スーパー銭湯か?プラネタリウムという手もあるか?と迷走の挙げ句マッサージ屋に向かった。

名古屋駅から国際センター駅をつなぐ地下街ユニモールにはコンパクトなマッサージ店が四つか五つ軒を連ねていて、どこかには入れるだろうと期待した。しかしどこも予約でいっぱいで入れない。クリスマスイブのヨセフとマリアのような、どんよりした気持ちで顔を上げたところに、ファイテンショップがあったのだ。

ファイテンショップにはいかにも寝られそうな卵型のカプセルと、足揉みマシンが何台も置かれていた。あのカプセルの中で何が起きるか知らないが、入って寝たい。横たわりたい。「あれに入りたいのですが」とお店に入るやいなや店員さんに言うと、「まずはお座りください」とイスをすすめられた。

そして、貼られたのだ、ファイテンパワーテープ丸タイプを、首に。

流れるような手付きでハイネックセーターの中に手を入れられてツボのようなところ4点にテープを貼られると、なんと、ガッチガチだった首が、さっきよりよく回る…気がする。「なんで!?」と騒ぐ私に、店員さんは何も言わない。考えるより感じろということらしい。さらに、メタックスクリームをそのうえから塗る。すると、さっきより首がよくよく回る…気がする。「え、メタックスってなに?」という問いもスルーされる。そして、それに最終的には、光を当てるという。その光は…羽生結弦選手も使っているらしい。マジで?


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すごいキメ顔だ。この手に持っているのが前述の光だ。この光も、なんなのかわからない。でも、それによって体がケアされるらしい。ケア…とは…?

光の怪しさ、テープの効果の謎さ、に、疑念が拭えないまま、それでも寝たいので、その光が全身で浴びられるというカプセルの中に入った。高濃度の酸素も吸えるらしい。25分で3000円くらいしたけど、寝たいのでもう前のめりだ。店員さんに「いまの目の見え方とか、身体の疲れの感じを覚えておいでくださいね」と言われて、横になった。

すぐ寝た。

25分後、カプセルから出てきて、たしかに視界がスッキリした…気がする。身体も楽になった…気がする。でもこれは光がどうこうではなく、真っ暗闇の中で短い睡眠をうまくとったからではないか。わたしは信じないぞ、と思いながら、とりあえず短期的な元気を取り戻し、晩ごはんに行きたかった店に行って新幹線に時間通り乗れた。ありがとうファイテン。全身バキバキになった姉はその夜、パワーテープを全身に貼って寝たら翌朝の身体が楽だったという。うーん、理屈はわからないし個人の感想だけど、ありがとうファイテン。みなさん、パワーテープの安いやつは1枚4円くらいだそうです。

 

 

2023年のこと

わたしは今この記事を新宿駅地下の立ち食い蕎麦屋にて、ハイボールを飲みながら書いている。すでにワインを5杯やった後である。
昨年の年まとめブログを読むと健康第一の生活をしていて、そこから大きく振りかぶったものだなと思うが、人生どうしたらいいかわからない。38歳、おのれの心に素直になったのは良いが、39歳を迎える準備はできていない。


1月 iPadでのお絵かきに精を出す。今年は筋肉量を5kg増やそう!という無理な目標を立てたが、もちろん達成していない。

2月 dee's magazineへの寄稿が人生の思い出になる。コロナ明け超久々の海外旅行でオーストラリア・パースと、台湾・台北へ。

3月 よく働いた。新しい人が二人もチームに入ってくれて嬉しいが、まわるようになるには難しいとわかる。せいろで冷凍ご飯を温める生活がスタート。

4月 Over The Sunの影響でアミノプロテインを飲む。リトルプレス界隈の流行をうけてgomm往復書簡の企画をやってみるものの、形になる前に止まってしまった。

5月 久しぶりにgommのピクニックもあり、長年の旧友の結婚式もありで心豊かに…なるはずが後半は心が荒れ、いろんなスマホゲームをDLしては試し消し試し消し…その一環で全く興味のなかった乙女ゲーまでやっていた。

6月 Duolingoで中国語にハマるが、すぐ飽きる。

7月 夢だった仕事でのヨーロッパ出張。高校の同級生のお導きにより、K-POPおばさんになった。

8月 gomm屋形船、楽しかった。オンラインコーチングをお試し受講して精神的に死にそうになる。どんどんくたびれ、起きられず出勤できない日が増える。

9月 休職というのはどうか、と思いながら、休んだり働いたり遊んだりしていたら、コロナにかかり休まざるを得なくなる。

10月 仕事を辞めよう!と決意しつつ、休んでハノイ旅行。円頓寺本さんぽのために、2月のオーストラリア旅行を本にする作業など。

11月 退職の意志を会社に伝えて、引き継ぎ。引越し作業でモノが捨てられらず苦しむ。父親が他界。

12月 名古屋での片付けが公私ともに佳境。家でも職場でもモノを捨てるか段ボールに詰めるかの毎日。年越し目前で東京に帰ってきた。


さて、2024年どうしていくのか。
もっとブログを書けたらいいのですが、というのは1年前にも書いていた。
もっと勉強しなくては、というのも1年前にも書いていた。
こうやってぐるぐるぐるぐる生きていくのだろうな。
せめて、仕事をやめたのは間違いじゃなかったと言えるといいのだが、どうだろう。全然自信のない年の瀬だ。